食の歴史――人類はこれまで何を食べてきたのか

  • プレジデント社 (2020年2月27日発売)
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古代からの人類の食の歴史を紐解くと共に、悲観的な近未来像を描き出し、未来を変えるために我々が今やるべきことを提言した書。

著者は、二〇五〇年には九〇億人に達するであろう人類を地球は養えるのか、という食糧需給の根本問題と共に、「食べることは、これからも会話、創造、反逆、社会的な制御の場であり続けるのか。それとも、われわれはいたるところで静かに加工食品を個食する、自己の殻に閉じこもった他者と無関心なナルシストになるのか。」と食文化の未来を問うている。

そして、伝統的な食文化を破壊した諸悪の根源は、生産性向上を図るべく大衆に「食卓で無駄な時間をすごすべきではない」と訴えてファストフードを生み出したアメリカ型の資本主義にあると看破。今日「世界各国の中間層はアメリカ型の暮らしぶりを模倣し」、個食の文化は世界中に広がりつつある、という。

料理を囲む家族団欒が消失し、「孤独で自己愛に満ち、必然的に他者と争いを起こす(あるいはそうならないために引きこもる)ノマド」と化した人類は、孤独を癒すために糖分を過剰摂取するようになる。健康問題が社会問題化すると食生活をAIに監視される超監視型社会、「長寿を約束する独裁者に身を委ねる」沈黙の監視型社会が到来する、という恐ろしい未来の出現まで予想している。

著者は、「民主主義にとって、より多くのモノを売らんとして、資本主義が人々を沈黙に追い込むのを放置すること以上に危険な行為はない」と言い、われわれの食生活、食糧生産の方式、議論の形態を見直すべき、と警鐘を鳴らす。

我々が今後なすべきことのポイントは、健全な食生活を取り戻すこと、そして先進国では肉食を控え、植物性のタンパク質の摂取を心がけること(「今日、西側諸国ではタンパク質の摂取量の比率は、動物性が三分の二、植物性が三分の一だが、二〇五〇年には動物性が五分の四になるように変革しなければならない」)だという。

グローバルな食品メーカーに対する規制強化、少肉多菜、少糖、地産地消、ゆっくり食べる、自分たちの食を知る、食育、節食(断食)、会話の弾む食卓という喜びを見出す、等々も提言している。


新型コロナウイルスの流行で会食の機会が激減してしまい、ながら飯、ジャンクフードが横行する昨今。家籠りしていてもネットを駆使すればそれほどの不便は感じないし、加工食品をツマミにしたオンライン飲み会にもそれなりに満足できる。集団感染が起こりやすい夜の街にわざわざ繰り出す人達の気が知れないし迷惑、と批判的に考えていたのだが、このような生活を常態化させるのは危険なのだろうか。本書を読んで、食を囲む日常的なコミュニケーションの大切さについて、改めて考えさせられた。

あるべき食生活について言えば、自分は(厳密なベジタリアンではないが)牛肉や豚肉、鶏肉を基本的に食べないので、その意味で未来志向の食生活を既に実践していると言えるのかな。

本書、大量の知識が詰め込まれていて盛り沢山過ぎるためか、全体の流れは今一つ。ストーリー的にはやや物足りなさを感じた。食糧需給問題の解決策についても目新しさはなかったし。なので星三つかな。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 教養
感想投稿日 : 2020年6月16日
読了日 : 2020年6月15日
本棚登録日 : 2020年6月13日

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