散々話題になって、2010年代SFのベスト10にも選ばれて、ようやく読んだケン・リュウの『紙の動物園』
確かに面白いのだけど、それ以上にSFというジャンルに吹いた新しい風というか、雰囲気を感じる短編集だったように思います。
表題作の「紙の動物園」は特に傑作だと評判は高かった気がしますが、本当に評判に違わない傑作!
アメリカ人の父と中国人の母を持つ息子が主人公。折り紙の動物に命を吹き込むことが出来る母。しかし息子は成長するに従い、中国人の母に反発を覚えるようになり……
国籍や言語の違い、文化の違い、それは親子ですらも遠い距離にしてしまいます。そして母からの手紙で明かされる、語られることのなかった母の人生と息子への想い。
過酷で孤独だった彼女の人生。そして見つけた居場所。一方でどれだけ愛が深くても埋めることのできない、我が子との距離。
どこかメルヘンチックな紙の動物たち。それはおもちゃで自分だけの世界を作っていた子どものころを思い出させるような気がします。
そして母への反発と紙の動物からの卒業。作中では人種や言語、文化の違いからこの反発の端を発していますが、この反発心やおもちゃからの卒業も、子どもだった人の多くが思い当たりそう。
そして、離れて失われてから分かる母の存在と愛情の大きさ。それでも決して時間は戻ることは無く……。
SFであったり、幻想であったり、海外が舞台であったり、異文化がキーワードになったり、歴史的な事件も織り込まれたりするのですが、それ以上に「紙の動物園」という作品は、どこにでもある普通の母子の物語でもあった気がします。
郷愁や思い出、母に対する決まり悪さ、そして母の愛と想い。あらゆる人が共感できそうな感情と過去をゆっくりとなでおこすような、そんな感覚を読み終えた時に思いました。
この切なさであったり、あるいは郷愁であったりは、ジャンルに縛られずあらゆる人に届くのではないか、とも思います。
もう一つ強く印象的だったのは「文字占い師」
台湾に引っ越してきたリリー。しかし父の仕事のため、台湾の米軍学校の同級生から距離を置かれてしまう。そんなリリーがある日出会った一人の少年と、彼を育てるおじいさん。
そのおじいさんは、自分は文字占い師だと話し、リリーが何気なく選んだ単語から、リリーの現在を言い当てて見せると言う。
リリーが選んだのは『秋』という単語。それに対し文字占い師の甘(カン)は、秋の漢字の成り立ちを説明した後、その下に心を書き加え『愁』という字に書き換えます。
そして「愁」には愁いや悲しみの意味があることを語り、リリーの孤独を言い当てます。そうしてリリーは、どんどん二人との距離を詰めていきますが……。
この文字占い師の甘の語りは、本当に魔術のよう。漢字の意味や成り立ちを説明していく中で、徐々に話は甘の人生、そして中国や台湾の歴史や国家の話へ形を変えていきます。
そしてそれは、国家や歴史、政治や思惑に振り回されてきた個人の悲劇と、それでも前を向こうとする人々の強さまでも表現しようとするのです。
しかし、やがて訪れる登場人物たちへの過酷な運命は、国家の矛盾と、国家に繋がれた個人の哀しさを浮き彫りにします。最後に残る切なさや寂しさが、印象に強く残りました。
「結縄」のアイディアは、この短編集でも随一の面白さだったなあ。縄で文字を伝える少数民族。その少数民族の元を訪れる研究者ト・ムの目的が明らかになったときは、アイディアの面白さに脱帽しました。
そしてアイディアの面白さで話を終わらせず、そこから科学や時代の波に飲み込まれる、少数民族の哀切を浮かび上がらせるのもすごい。
アイディアでいうと「選抜宇宙種族の本づくり習性」はまさにセンス・オブ・ワンダーという言葉が当てはまります。
様々な異星人、さらにはロボットのような種族までが、地球人からすると本とは思えない、それでも「本」としか言いようのないものを作っていく様子をただ解説する話。
想像力がかなり必要とされますが、これだけのことを文章に起こせるのがまずすごい。そして、ラスト一行は本好きにはある意味力強く響くかも。
他に印象的だった短編を簡単に。
「もののあはれ」の主人公は宇宙船の乗組員の日本人。
東日本大震災の時に、物資の配給にちゃんと列を作って受け取る日本人の姿が世界から賞賛されましたが、ケン・リュウもそんなふうに日本を良く思ってくれているのか、とも感じる短編。
ひねくれてる自分は、列を作るのは外国の人が思ってるような、崇高なものが理由でもない、と思ってしまうのですが、それでも作品の穏やかな語り口と、深遠なテーマは、日本という国や文化を誇らしく思わせてくれます。
「太平洋横断海底トンネル小史」
上海からシアトルまでをつなぐ巨大な海底トンネルの建設に、現場で携わった男の話。
国家の巨大事業として派手に進められた建設の裏で、地上で暮らす家族とは疎遠になり、地上に戻れなくなった男。やがて時代が進むに従い、産業の高度化や仕事の危険さ、人件費の高騰で工事の担い手が少なくなり国が取った選択と、男が取った行動は……
繁栄する世界の裏で、忘れられ語られることもなくなってしまった悲劇と罪。そして取り残された者の哀切が印象的。
「どこかまったく別の場所でトナカイの大群が」
安全な空間で暮らすレネイと、宇宙飛行士として飛び立とうとするその母。そしてレネイが初めて外の世界へ飛び出したときのワクワク感。
一方で外の世界を知ってしまった娘に対しての父の思いであったりと、冒険心と親の切なさが感じられる作品。
不老不死がテーマの「円狐」
生と死、様々な人や家族との出会いと別れから導き出される、人生の真理。静かに穏やかにたおやかに閉じられる物語の終わりが、また情緒深い。
妖狐の娘と妖怪退治師の男を描く「良い狩りを」も独特のSF。
文明や科学の発達により居場所を失っていく妖弧と妖怪退治師。本来相対するはずの二人が、そんな時代の波に飲まれつつも、その時代の中を必死に生き抜き、そして流れゆく時代に対し、最後に示す気高い姿と、未来への希望が心に残ります。
最後に収録されていた「良い狩りを」の影響もあるのか、『紙の動物園』に収録されている短編の持つ雰囲気は、ジブリ映画の『平成狸合戦ぽんぽこ』と似たものがあるように思います。
都市開発により、住処である里山を奪われそうになった『ぽんぽこ』の中の狸たち。彼らは妖術を使って開発を中止させようとしますが、それも徐々に限界を見せ始め……
失われたもの、戻らないものへの郷愁。科学や文明の発達に取り残されたり、あるいは翻弄される人々。国家や時代のうねり、科学技術の波に飲まれ、表舞台からひっそりと消えたマイノリティや弱者たち。
『紙の動物園』で描かれた登場人物たちの姿が、人間や文明の発達の前に、故郷を失い姿を消した『ぽんぽこ』の狸たちと、どこか似ているような気がします。
そしてもう一点、『紙の動物園』と『ぽんぽこ』に共通しているように感じたのは、そうした弱者であったり、表に出なかった声を掬い上げようとするどこか優しい視点。
人間たちへの反抗への一方で、狸たちの生活や個性、そして自然を生き生きと描いた『ぽんぽこ』
穏やかな語り口と静かな抒情で、登場人物たちを見つめる『紙の動物園』の短編たち。
時代や歴史の流れ、あるいは技術の発展に伴い失われゆくものや、表にでなかったもの、変わってしまうもの……。そして、そんな中でも最後まで変わらないもの。
そうしたものたちへの愛惜であったり、優しい視点が根底にあるように感じました。
そしてこの視点こそが『紙の動物園』が、ベストSFに名を連ねた理由だと自分は思います。
今まで読んできたSFも、こうした話はあったような気はします。でもその視点はどちらかというとシリアスというか、ブラックというか。
進みすぎた技術や、強大な国家への警鐘、あるいは皮肉が印象に残るものが多かったです。
一方でこの『紙の動物園』はそれ以上に、そうしたテーマに押し流される人たちの声を、静かに、そしてたおやかに掬い上げようとしていることが印象的でした。
そうした視点が、この感想の最初に書いた「SFの新しい風や雰囲気を感じた」理由だとも思います。
こういう視点って人柄もそうですが、著者のケン・リュウの出自もやはり関係しているのかもしれません。
歴史的な事件や政治的な事柄に対し、自国民に自由に語ることを許さない中国。その裏にはたくさんの声なき声が渦巻き、そして聞かれることのないまま、時代の中に消えていった声もたくさんあると思います。
幼少期をその中国で過ごし、その後アメリカに移住したケン・リュウ。海外から見た故国の矛盾と、その一方で子ども時代や、中国文化への郷愁。
そうしたものが合わさってこうした独特ながらも味わい深く、そして世界の壁を越えて愛される短編たちが生まれたのではないか、とも想像してしまいます。
以前『折りたたみ北京』という中国SFのアンソロジーの感想でも書いたのですが、中国SFの作中で描かれるキーワードやガジェットは確かに目新しくて面白いです。
でも作品の根底にあるものであったり、人間に対する視点というものは、やはり普遍的なもののような気がします。
一方で、中国という出自やキーワード、ガジェットがあるからこそ、その普遍的なものがより鋭く、あるいは味わい深く描かれているところもあって、だからこそ中国SFが熱い! という熱が生まれたのだとも思います。
でも〈中国〉や〈SF〉はあくまでキーワードであり、設定でしかありません。それを存分に生かした物語と、その根底にある優しい視点。それこそがこの『紙の動物園』の最大の魅力だと思うのです。
- 感想投稿日 : 2020年7月14日
- 読了日 : 2020年7月9日
- 本棚登録日 : 2020年7月9日
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