聞かせてよ、ファインマンさん (岩波現代文庫 社会 185)

  • 岩波書店 (2009年4月16日発売)
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感想 : 17
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ファインマンさんシリーズという一連のエッセイがあることは前々から知っていたが、初めて読んだ。
なんということもない読み物なのだが、読んでいるうち、だんだんと著者の「科学オンリー主義」とでも呼ぶべき偏狭さが気になってきた。
彼はどうやら哲学が大嫌いらしく、さんざん嘲笑している。といっても哲学書をろくに読んだわけでもなく、たぶん全くわかっていない。
社会科学についても「全然科学的じゃない」とさんざんにこきおろしている。
確かに西洋文化の中で、自然科学は素晴らしい知の実績を積み上げてきたが、科学的思考「だけ」が正しく、政治もそれ「だけ」を考慮するべきだ、というファインマンさんの主張には賛成できない。
たとえば「ツボ治療」なるものは、その効果についてはWHOさえもが認めているのに、それの「科学的解明」とやらは全くなされていない。やろうという気配さえない。「自然科学」はけっこう怠慢なのである。科学的な知は、知のすべてではないのだ。ツボ程度のものさえ解き明かし得ない科学主義者が、「疑似科学」を嘲る資格はないと思う。

だいたい、どの分野であれ、その分野しか知らない「専門馬鹿」の語る話はおもしろくない。科学者であれ、そこらじゅうにいる自称「アーティスト/ミュージシャン」であれ、哲学者であれ、スポーツ選手であれ。彼らの業績、作品については別問題だが、とにかく狭い世界しか知らない人間が得意げに話す世界観には、あまり惹かれるものがない。むしろ、知ったかぶりの醜悪な自己満足が見え透いて不快だ。
一方、科学も哲学も文学も政治も、あらゆることに向けて知的好奇心を惜しまないような巨人たちの語る言葉の方が格段に面白い。ジャン=ピエール・シャンジュー、ポール・リクール、メルロ=ポンティ、中井久夫、武満徹、こういった広範な知見を持つ者だけが、価値ある「話」を語りうるのではないか? いや、何も「すべてを解明する縦断的な見解」を持つ必要はない。ただ、おのれの「知」を、1個のはかない人間として、世界に向けてどこまでも開いていくことこそが、正しいのではないか?

それと、ファインマンさんは原爆の開発にもたずさわっていた。ヒロシマで大量の、無防備な一般市民が死に、地獄絵図の中をさまよい苦しんでいたその時、開発チームは「成功」を祝っておおはしゃぎしていたという。科学者が実験成功を祝う気持ちはわからないでもないが、アインシュタインなら別の態度を示していたろう。
原爆の開発に関し、ファインマンさんは無反省というわけではないようだが、アメリカがそれを先に完成させなければナチスが完成させる恐れがあった。だからアメリカが原爆を完成させて使用したことは正しかった、という思いがあるらしい。
どう理屈をつけようが、戦争のために無差別大量殺戮兵器の製造をする者は殺人者でしかないと私はおもう。少なくとも非戦闘員の大量殺害の瞬間に大喜びするような事態は、何かが致命的に間違っている。クレイジーそのものだ。

というわけで、どうもこの人の「人柄」には全然魅力を感じなかった。もうファインマンの本は読まないと思う。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 自然科学・数学・情報
感想投稿日 : 2013年2月3日
読了日 : 2013年2月3日
本棚登録日 : 2013年2月3日

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