犬神家の一族 金田一耕助ファイル 5 (角川文庫)

著者 :
  • KADOKAWA (1972年6月12日発売)
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本棚登録 : 3571
感想 : 324
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またまた横溝正史の金田一ものを一気に読んでしまった。1951(昭和26)年刊。読み始めたら止まらないといった感じで、どんどん先に進んでしまう。
 この「取り憑かれたように夢中になって読んでしまうミステリ」と言えば、アガサ・クリスティの作品がそうだった。他の古典ミステリとは一線を画す面白さで、一時期は十何冊も次々に読んでいったが、読み終えて数年も経つと、このタイトルの本はどんな話だったか、思い出そうとしても思い出せない。引きずり込まれるようにジェットコースターに乗せられて突っ走り、読み終える時は非常に満足しているのに、長期記憶には残らない。やはりその辺は、苦労しながら・味わいながらじっくり読んでいく芸術系の小説とは異なる点なのかもしれない。果たして横溝正史もそうなのだろうか。
 クリティティに比較すると、横溝正史作品はずっと情動豊かである。作者の怪奇趣味による恐怖のエレメント(本作では殺害された被害者の「生首」や、戦場で大きく負傷したという復員者の、凄まじく爛れ肉塊を覗かせる顔貌の描写など)。憧れやスケベ心(?)を喚起するエレメント(本作に登場する「絶世の美女」珠世)。それぞれの場を満たす、憎しみ・怒り・激情といいた振幅の大きな感情のエレメント(犬神家の一族内の、相互の愛憎や呪い、復讐のモティーフなど)。
 こう並べてみると確かに「サービス満点」である。様々な要素が次から次へと織りなされ、適宜緊張感が高まり、息もつかせぬ展開になる。もちろん、殺人は一度きりでなく、連続殺人となってゆくから、それだけでもサスペンスとして盛り上がる。
 そしてミステリの常套というか、たとえば最初の方のある章の終わりにこう書かれている

「読者諸君よ、いままで述べてきたところが、このもの恐ろしい、なんともえたいの知れぬ犬神家の一族に起こった、連続殺人事件の発端なのである。
 そして、いままさに血なまぐさい惨劇の第一幕は、切って落とされようとしている。」(P.90)

 本作は雑誌に連載されたものなので、章の終わりにこういう緊迫した「予告」的な宣言を入れてやることで、次回が待ち遠しくなる。こういうのはもはや完全にありふれてはいる。連続テレビドラマや、連載マンガなどでも「いいところで終わる」のは定石である。そうしたエンターテイメントの常用手段が、戦後間もない年の横溝正史作品においても既に、完全に確立されているのである。
 予告された不在(上記例では、今後の物語の展開)が、読者の心を前へ前へとつんのめらせる。「不在」への欲望がみなぎり、ページを繰る手がはやる。
 とりわけて横溝正史作品の長所は、色濃い情動が絶えず惹起されてゆくことだ。常に読者は、言葉・描写・想像・共感に導かれて巧みに情動を操られてゆく。この意味では、音楽的だとも言える。
 勢いよくほぼ1日で読んでしまい、更に別の作品が読みたくなってしまう。そのように欲望を惹き付ける装置として、よく出来ている。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 文学
感想投稿日 : 2021年10月17日
読了日 : 2021年10月16日
本棚登録日 : 2021年10月16日

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