わたくし率 イン 歯ー、または世界 (講談社文庫)

著者 :
  • 講談社 (2010年7月15日発売)
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 川上未映子さんの最初の小説と目されるものである。表題作が2007年5月、併録の「感じる専門家 採用試験」が2006年11月に、共に「早稲田文学」に掲載されており、単行本は2007年刊行。散文詩『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』は2005年にユリイカに掲載されているので、シンガーソングライターから「言葉の専門家」である文学者に推移するプロセスが、この辺の時期に当たる。
 これはかなり「前衛的な」小説だ。2003-2006年執筆の『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』所収のブログに見られたような、無法とも言える自由なパロールの錯綜を、よりアバンギャルドに進展させ、小説のストーリーとしては不条理で割り切れないような形態を描き出している。
 読んでいて、これって「ヌーヴォー・ロマン」だなと思った。1950年代以降のヨーロッパに出現した別名アンチ・ロマンの系譜は、ちょうど欧米音楽界でもモダニズム期に見られた無調技法をさらに進展させ怒濤の主体表出ないし世界観の転覆を画した前衛音楽が盛んに輩出された時期、アメリカではジャズにおいてコルトレーン、マイルスなどが熱く型破りな表出を体現していった時期と重なっている。この「現代芸術」の典型的なスタイルが、本書の二つの小説で反復されているように見える。
 この前衛性のゆえに私は本書を評価するが、作品としては高い完成度を示すとは言えない。奔放すぎるパロールの横溢を、作者は改めて「コンポジション」することによって「小説」をめざしたのだろうが、ここでは「コンポジション」化が徹底されきれず、作品としての態に到達したとは言いがたいのだ。
 このあと、彼女はパロールを整理してストーリーをもっと「普通の話」と解釈しうるようなものに変更する路線に進み、本書表題作から半年後の2007年12月に「文学界」に掲載された『乳と卵』によって、芥川賞を受賞する。やはりこの時期の彼女の文学の変転のスピードが凄い。
「普通の話」として収まりの良い『乳と卵』より後は、どういうわけか川上さんはパロールの錯綜を鎮めていって、文体はどんどん「普通」化へと向かい、しかし繊細な感覚と言葉への卓越した感性を駆使して「織りなす」ことへと精神を集中させていったように考える。
 じっさい、そのように作家川上未映子さんは成長したのだが、本書に示されたような極端な前衛性が失われたのはちょっと惜しいような気もする。
 もっとも、表題作における放逸な「表現」の数々は、確かに「思考されきっていない」側面があって未熟と言えるのも確かだ。「歯」への執着が、ここでは思考の余技のようなものでしかないため、同じく歯に執着した赤坂真理さんの『ミューズ』(1999年)よりも劣っているような気がした。川上さんはもっと言葉や日常の諸事象への思考を深化させていった結果、その後の『ヘヴン』(2010年)のような方向へと自然に収斂していった、と考えるべきなのだろう。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 文学
感想投稿日 : 2021年2月14日
読了日 : 2021年2月13日
本棚登録日 : 2021年2月13日

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