正義論

  • 紀伊國屋書店 (2010年11月18日発売)
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感想 : 24
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ジョン・ロールズはずっと前に『公正としての正義』を読んだきりで、本書『正義論』についてはもちろん知ってはいたのだが、あまりにも分厚く高価なため、これまで読まずに来てしまった。
ようやく今回意を決して読んでみたのだが、しんどかった。ロールズの文章は非常に読みにくく、わかりづらい。これはたぶん翻訳が悪いのではなく、原文がひねくれ、錯綜しているのである。厳密を期して練り上げられた文章なのだろうが、読者がこれを完全に読み解いていくのは相当にしんどいと思う。
さて1971年初版の本書でロールズが掲げる原理<公正としての正義>は二つの原理から成っている。
(1)各人は平等な基本的諸自由の最も広範なシステムに対する対等な権利を保持するべきである。ただし、それはすべての人の自由の同様な体系と両立可能なものでなければならない。(自由は自由のためにのみ制限されうる。)
(2)社会的・経済的な不平等が正義にかなうのは、それらの不平等が結果として全員の便益を補正する場合に限られる。

要するに個人の自由を最大限に尊重しつつ、能力差等によって生まれてくるあらゆる不平等な格差を、万人が納得できるまでに是正しなければならないという、社会福祉(社会主義的)-自由主義ということになろう。
この<原理>がどのように出立するかというと、ロールズは<無知のヴェール>によって規定された<原初状態>を想定する。これは社会契約説の一種となる。
「誰も自分の階級上の地位、身分、能力、運不運について知らず、互いに各人の善の構想やおのおのに特有な心理的な性向も知らない」(P18)
という、完全に合理的な思考が可能な知性を持つが、同時に新生児のように何も知らない人々が協議して、社会を導く原理を編み出すということだ。このおよそありえない状況が、純粋な思考実験によって設定される。
このような不可能性に立脚しなければ「正義」を社会に維持できないのならば、ロールズの意図とは逆に、現実世界において「正義は不可能なのではないか?」という濃厚な疑念がもたげてしまう。
安倍首相につづいてトランプ大統領などというものさえ登場した現代社会では、すでに「正義」は人々の思考の基準にすらならなくなってきている、という絶望的状況から見れば、このロールズの壮大な思考の研磨の営みが、涙ぐましくさえ見える。
しかしロールズが緻密に構成したこの書物は非常に堅固な理論を示している。問題を慎重に限定しておいて、重厚な思考が非常にゆっくりと石を積み上げていく印象だった(読みにくいけれど)。
ただ少し気になったのは、ロールズは当時のアメリカ社会を前提として思考したのであり、「民主主義」「自由-資本主義」「人権思想」「法治主義」「立憲主義」などの社会的要素は、「前提」として考慮されてはいても、それらがいかに構築されうるか、という点についてはあまり煮詰められていないように見える点だ。その辺は別の書物の中で論じられているのかもしれない。
この本を読むというしんどい経験が、「もはや正義がありえない」現代社会のしんどさと重なって、奇妙なまでに重苦しい読書となった。
だが、集団社会を形成する動物はたくさんあるものの、個体間格差を社会として是正しようなどと企図するのは人間だけだ。人間社会において、いまだ可能であるのはどのようなことか?

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 哲学・思想
感想投稿日 : 2017年2月19日
読了日 : 2017年2月19日
本棚登録日 : 2017年2月19日

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