夜の鼓動にふれる: 戦争論講義 (ちくま学芸文庫 ニ 12-1)

著者 :
  • 筑摩書房 (2015年8月6日発売)
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感想 : 12
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現代思想の文脈から「戦争」を論じるというテーマで行われた講義。平易なので、哲学入門の一変種として読むことができるだろう。
平和=昼、戦争=夜とし、夜は昼に見えていたものが消失してしまい云々というくだりは、ちょっとバタイユ寄りというか、ポエムっぽすぎる気がした。
しかし戦時体制下の差し迫った「実存的」状況の分析にはなるほどと思う。
第2次大戦後、局所的な「紛争」を除けば、大国同士の「戦争」はなく一応の「平和」な状況が見られた。というのが通念だが、しかし米ソの冷戦というものは、核兵器の相互使用が人類史的な破滅をもたらすがためにボタンが押せなかったにすぎず、それは「不可能性」という形態をまとった世界大戦に他ならなかった、と著者は指摘している。
実際の戦火は上がらない分、戦争は「経済」において展開されてきた。なるほど、これはなかなかに当たっているかもしれない。ただし、思うに、経済戦争の当事者は国家を乗り越えた「グローバル企業」になってきており、国家と資本との微妙な分裂(そして陰での癒着)ということが問題化してきているのではないか。
この講義に著者自身が書き加えた文章は、戦争を放棄したからこそ、経済戦争での成功者となった日本が、今さらのこのこと「戦争が出来る国」になろうとしているという最近の状況を笑っている箇所があり、同感だった。
安倍政権、自民党、日本会議、ネトウヨの目指していることはまさに「時代遅れ」すぎてちゃんちゃらおかしいのである。
さらに著者は「テロとの戦争」という奇妙なスローガンを批判している。国家同士のたたかいでなければそれは戦争とは呼び得ない。国家の軍が、限界のさだかならぬ対象=テロリストを対象に「戦争」を始めても、それは絶対に終わることはなく、テロリストでない無数の民をも犠牲にし続けるだろう。これは戦争ではない。国家による、他国領土での「殺人」に他ならないのだ。
戦争の経済化と、戦争という語の意味の拡大化(単なる「殺人」へ)。この方向で少なくとも合衆国は突き進んでおり、現状で明るい未来のかけらすらない。
最後は暗澹とした気分で読み終えた。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 哲学・思想
感想投稿日 : 2015年8月22日
読了日 : 2015年8月22日
本棚登録日 : 2015年8月22日

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