脳と仮想 (新潮文庫)

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  • 新潮社 (2007年3月28日発売)
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面白い。脳科学者、茂木健一郎によるエッセイ。テレビで見た茂木健一郎とはだいぶ印象が違う。

物質である脳に、いかにして心が宿るのか、という問いを「心脳問題」と呼ぶそうだが、まずこの問いが非常に興味をそそる。この難問に現代の科学では答えることができず(もちろんこの本にもその答えはなく)、恐らく現代科学のアプローチでは解くことができないのだろう。
だからこそ、かどうかはわからないが、本著もこの問いに対する本であるものの、科学的な話はほぼなく、思想的な話が主体である。

あとは、クオリアという概念が面白かった。

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p17
プラトンは、「書き言葉は話し言葉に劣る」と考えた。

p22
近代科学は「計量できるもの」だけに対象を絞っている。
(にもかかわらず、それだけで世界の全てをカバーできると思っている)

p24
人間の経験のうち「計量できないもの」を脳科学ではクオリア(感覚質)と呼ぶ。

p92
特定の宗教を信じるかどうかは、個人の自由である。しかし、人間が生み出す仮想の切実さを信じられない人の精神生活は、おそらく貧しいものにならざるを得ないだろう。

p101
私たちは五感を通じて、外界の様子をつかみ取っている。
つまり、それぞれの感覚で固有の「クオリア」を感じとっている。

p104
複数の感覚から得られた情報が一致することで、私たちの「現実」を支えられている。
逆に、その一致が成立しないものを「仮想」と呼ぶ。

p117
私たちは「もの自体」には決して到達できない。
私たちが把握できるのは、その色や触覚や叩いた時の音といった「クオリア」だけである。

p158
自分の感じている赤と、他人の感じている赤が、同じ赤なのかですらわからない。

p166
それでも人は断絶の向こうにある他者の心とコミュニケーションすることができる。
他者の心だけでなく、広大な世界は本来的に断絶している。

p228
この世界で確実なのは、現実の世界ではなく、意識を持った自分だけ。
(デカルトはこれを「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する」 と表現した)

p231
なぜ、単なる物質を、いくら複雑とはいえ、脳というシステムにくみ上げると、そこに「魂」が生じてしまうのか、とんと見当がつかない。見当がつかないということは、きっと、近代科学のやり方に、どこか根本的な勘違いがあるということを意味するのだろう。重大な錯誤があることを意味するのだろう。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: ノンフィクション (新書/文庫)
感想投稿日 : 2011年4月6日
読了日 : 2011年4月6日
本棚登録日 : 2011年4月6日

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