★いまもあるのか★ついぞ接点のないケータイ小説だが、ヤンキー流れで。出版は2008年。読んだこともないのでケータイ小説そのものの批評はしようがないが、分析は面白い。
ケータイ小説と浜崎あゆみの歌詞は同じ線上にあり、その前にはNANAやホットロードといった、具体的な描写を欠いた回想的モノローグがある。田舎のショッピングセンターの画一的な品ぞろえの本屋で売れるのは、それがハイかロ-かサブかではなく新たな文化の形というのはもっともだ。
児童文学評論家の赤木かん子の指摘の引用も興味深い。「リアル系」の子供は情緒が苦手。だから相田みつをが好き。人間描写がない、風景描写がない、心理描写がない。出来事が次々出てくる…。なるほど。ただ、僕にとってのみつをのとっつきにくさは、情緒不足と言われるとすっとこない。
つながりすぎるケータイというジレンマも納得。ケータイ小説の最後に、つながらないかもしれない日記や絵馬がコミュニケーションの手段として表現される逆説とワンパターン。
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- 感想投稿日 : 2014年8月18日
- 本棚登録日 : 2014年8月18日
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