大川周明 イスラームと天皇のはざまで

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  • 青土社 (2010年8月10日発売)
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★大川を媒介にイスラムの理解を深める★民間人(それも右翼)として唯一A級戦犯となり、精神病になったとして東京裁判の訴追を免れた大川周明。大川についての知識は全くなかったが、書評と副題(イスラームと天皇のはざまで)に惹かれて読んだ。大川の分析以上にイスラムの見方について勉強になった。
 井筒俊彦は「イスラームの2つの顔」として、シャーリアによる統治を重視する共同体的イスラーム(スンナ派的)と、個人の内面を重視するスーフィズム(シーア派的)があるという。これは現世主義と来世主義に相当し、大川の分析では、アジアは後者に偏る「小乗」(修行により個人の解脱を説く小乗仏教からの比喩)となり、利他救済の立場から広く人間全体の平等と成仏を説く「大乗(仏教)」から離れていった。そのために西欧に征服された。
 大川はイスラムの現地に暮らしたわけではなく、理念の研究から「宗教と政治に間一髪なき」ものとしてイスラムに共感した。イスラムとの関連では天皇は「神」とはなりえず、ムハンマドのような預言者(教祖=指導者)として存在する。そして「理想型に対する偏差として現実を見る」姿勢を取る欠陥があったため、当初は社会体制としてのイスラムを評価しながらも、現実ではイスラム世界が敗れたために、精神世界(小乗)へと再び関心が戻って行った(ひきこもった)、と著者は指摘する。
 ナショナリズムとイスラムとの関係では、著者は大川の態度を「国民国家の変革の文脈でナショナリズムを鼓舞する限りにおいてイスラームを評価する」と指摘する。トルコのケマル・アタチュルクのように「カリフ=スルタン制」を廃止して国家制度としてのイスラムを否定しようが、サウジ初代国王のイブン・サウードのように国家機構にイスラムを組み込もうが、西欧列強の帝国主義的介入に対して民族国家としての独立と統一を維持・達成した点で指導者を評価する。つまりナショナリズムに力点があり、ここではイスラムは背景に消えうせる。
 また一神教と日本との関係については、丸山眞男の指摘によると、世界の創造を「つくる」「うむ」「なる」を線上に位置づければ、「つくる」論理が強いのがユダヤ=キリスト教(一神教)であり、「なる」論理が強いのが日本神話だという。日本では主体への問いと目的意識性とは鮮烈には現れず、宇宙に内在する生命と力が神として顕現する。だから自然界に偏在する。

読書状況:未設定 公開設定:公開
カテゴリ: イスラム
感想投稿日 : 2010年12月12日
本棚登録日 : 2010年12月12日

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