ユリイカ 2014年12月号 特集=百合文化の現在

  • 青土社 (2014年11月27日発売)
4.13
  • (6)
  • (14)
  • (3)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 185
感想 : 11
4

百合について、時に文学史的に、時にクィア理論的に、或いはもっと娯楽的に、と様々な観点から語られる。本文も数多のポップカルチャーを絡めて書かれており、百合入門(?)のためのメディアガイドもついていたため、気楽に読めた。百合とされるアニメについて理論的に分析した文も多いので、考察厨も楽しめると思う。
最も印象に残ったのは「百合は"出来事"」という考え方。あくまでも一瞬の出来事であるから、それ一つでセクシュアリティを決定するのは性急である、と。且つこの論は、百合に限らずBLやヘテロであっても適用されるものだという。これはLGBT界隈の常套句「セクシュアリティよりパーソナリティ」に通ずるものがある。
もう一つは「百合の可能性」について。『ゆるゆり』のようなライトな接触こそが百合であり、他の『百合姫』作品はガチレズ、そんなものは求めていない! と嘆く人々。『ゆるゆり』の描くものはあくまで百合の一形態でしかないのに、いつしか百合の定義となってしまった。しかし百合はもっと幅広い可能性を持っていてほしいという。ここからは持論になるが、昨今はカテゴライズ隆盛社会とでも言おうか、カテゴリーを定め、既存の事物をそのカテゴリーの中に押し込めていく。しかもそのカテゴリーは大変な勢いで細分化されていく。その概念はこのカテゴリーには入らない、別枠にしろ、とどんどん切り分けていくのだ。カテゴリーを創作(細分化)していく彼らにしてみれば世界を秩序立てようとしているのだろうが、結果は混沌とした単語の濁流である。不毛だ。もっと単語一つに込められた寛容性や可能性を尊重すべきではないか、などと思う。そういった意味で、百合とガチレズの線引きについて興味深く読んでいた。

最後に、孫引きになるかと思い引用欄には書かなかったが、印象に残った文をひとつ。
“たとえば、十三歳から十七歳までの美しい姉妹の連続自殺を「僕たち」という曖昧な一人称複数形で描くジェフリー・ユージェニデスの『ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹』のセシリアは、自殺未遂を咎める医師に「先生は十三歳の女の子だったことなんてないでしょう」と言い放ってこの世を去る。”(190頁)
書きそびれていたがこのように少女論もいくつか掲載されているので、サブカルチャー傾倒者は読むといい。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 文学
感想投稿日 : 2016年1月17日
読了日 : 2016年1月17日
本棚登録日 : 2016年1月17日

みんなの感想をみる

ツイートする