雑種文化 日本の小さな希望 (講談社文庫 か 16-1)

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  • 講談社 (1974年9月1日発売)
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著者は、西洋の文化が「純粋種」であるのに対して、日本文化を「雑種」と規定している。現代の日本文化の中には、西洋の文化が深く入り込んでいる。それはもはや文化の枝葉のことではなく、日本の根を養うにまで至っている。それゆえ、日本文化から西洋文化を取り除こうとする日本主義は成り立たない、その反対に日本文化を完全に西洋化しようとする試みもけっして成功しないだろうと著者は言う。

このことがはっきりと認識されていないことが、明治以降の日本の歩みに大きな影を落としていると著者は考えている。そのことが比較的詳細に論じられているのが、本書に収められている「日本人の世界像」という論考だ。著者はこの論考の中で、近代日本の外の世界に対する関心は、外部「から」学ぶという態度と、外部「に対して」対抗するという態度の二つに分裂していると主張する。

こうした分裂が、日本の国際的状況の理解を妨げている。外国「に対して」自国を守るという考えは、国家間の関係を武力による権力政治の舞台と見る考えと結びつく。一方、こうした貧しい現実主義が、それと対立する理想主義を魅力に乏しいものにしている。内村鑑三が殉教的精神に、夏目漱石が彼の言う「個人主義」に追い込まれていったのもそのせいである。

こうした観点から著者が一定の評価を与えているのが、大正デモクラシーの中心人物だった吉野作造である。彼は国際的状況を歴史的に見渡した上で、そこに動議の役割の伸張を見いだそうとしたのである。

こうした吉野に対する評価は、本書の冒頭に収められた「西洋見物の途中で考えた日本文学」と「高みの見物について」という、2つの論考につながってゆく。著者はそこで、西洋見物の旅に出た自身の立場を、西洋に対しても日本に対しても無責任で非生産的な立場としつつも、責任を取らないがゆえに公平無私な見通しを得られると主張している。こうした立場から書かれた本書は、著者らしいコスモポリタニズムの立場からの日本文化論だと言うことができるだろう。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 文庫版
感想投稿日 : 2013年2月12日
読了日 : -
本棚登録日 : 2013年2月12日

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