構築主義とは何か

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「構成主義/構築主義」(constructionism)をテーマに、社会学、人類学、歴史学、文学などの分野から、10人の論者の論文を収めている。また巻末には、編者の上野による各論文についてのコメントがある。

ジェンダー論ではなく科学哲学における社会的構成主義をめぐる論争の方から構成主義の議論を知ることになったという経緯もあって、構成主義にあまりポジティヴな印象を持っていなかったのだが、本書を読んで、そこれまで抱いていたいくつかの初歩的な誤りを正すことができた。

1960年代に盛んだったラベリング理論は、逸脱の原因を逸脱者の側にではなく「逸脱者」というラベルを恣意的に貼り付ける人びとの側に求めるものだった。だがそれは、社会的なサンクションに逸脱行動の原因を求めるという意味で、実証主義的な原因論を脱していない。M・スペクターとJ・I・キツセはこうしたラベリング理論を批判的に継承し、客観的な状況を不問に付し、人びとの相互作用を問いなおすことで社会問題の構築のあり方に焦点を当てた。こうして彼らは、社会問題の同定における構築主義の立場を確立した。

まだ構成主義に全面的に賛同するに至っていない自分としては、加藤秀一の論文「構築主義と身体の臨界」が、バランスのよい立場を示しているように思えた。ただし編者の上野は、加藤の立場はさらにラディカルな構築主義へと推し進められるべきだと主張している。加藤はI・ハッキングの『何が社会的に構成されるのか』の議論を継承する形で、構成主義は身体の物質性を否定する必要はなく、それが人間にとっての「本性=自然」ではないことを明らかにすればよいという。これに対して上野は、加藤の議論が「物質性」と「社会性」という二つの水準が自律的に存在しているような前提に基づいていることを批判し、身体の物質性は社会的にカテゴリ化されることを通してのみ、存在しかつ認識されるべきだと述べている。

上野の主張は、私たちの社会が物質性に基づく実証的研究に高い信頼性を与えているという事実を批判的に解体する視座を提供するものだと思うが、おそらく加藤は、そうした社会問題の水準を超えて、身体の実在論/反実在論の議論に構成主義は立ち入る必要はないと考えているのではないかと思う。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 社会学
感想投稿日 : 2012年11月6日
読了日 : -
本棚登録日 : 2012年11月6日

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