寂聴般若心経: 生きるとは (中公文庫 せ 1-6)

著者 :
  • 中央公論新社 (1991年10月1日発売)
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本棚登録 : 272
感想 : 22
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仏教について、お釈迦さまの教え『摩訶般若波羅蜜多心経』についての入門編だと思われる本。<br>
寂聴さんのこれまでの法話を本にまとめられたそうで、本文は終始語り口調な感じで書かれていてとてもわかりやすい。<br>
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『向こう岸へ渡るための、いちばん大切な偉大なる智慧(ちえ)のお経』の内容を『般若心経』本文に沿って説明してある。
本文は、『舎利子』というお釈迦さまの十大弟子のひとりで、その弟子に向かって唱えられた言葉があとあとずっと続くことになります。<br>
全ては『空(くう)』であるということをずっと説いてあるんですね。
空になりなさい。ものごとにとらわれず、執着を捨てるということ。
最初から『無い』から、ものごとにとらわれることはないんですね。<br>
人間が幸せになるというのは、結局のところ自由になって、心のこだわりを持たなくなって(空になって)何ものも恐れなくなること。<br>
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だけど、そんなことわかっちゃいるけどなかなかそうは出来ないじゃないか。。と思うのだが、寂長さんは、そういうもんだと思ってくださいと。<br>
そしてクヨクヨしたときは、自分自身を見つめる。
『今、こだわっているな…』とこういうことを思い出す。<br>

『諸行無常』、すべてのものは移ろう。永遠は無い。
今日は元気だと思ったって、明日のことはわからない。<br>
今どんなに美しい娘でも、やがて必ず年を取り、皺くちゃのおばあさんになり、ついには死ぬんだということを直視せよというんです。
満開の桜も必ず散ってしまうように…。
だから、現実逃避して『夢想』も時にはむなしい。<br>
だからそういう妄想は捨てなさいと(><) ←なんか。。こういうことが、ある意味生きがい(?)な私にはキツイ宣告(笑)<br>
ものごとを正しく見る。。というのは、『八正道』に通じる。
砂漠の蜃気楼は、やはり蜃気楼に過ぎないんですね;;<br>
『あるがままでいいじゃありませんか。。。』と寂聴さんは仰り、ある意味納得もしてみる。。<br>
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この本を読み終わった後、気持ちが楽になったような?よく解らなくなったような??<br>
執着は捨てるけど、人間は目標をもって向上していくものだと思うから、そうやって今の文明社会をつくり、また成り立ってきたわけだから。<br>
核のように、少しずつ間違った方向へ行ってしまった文明もあるんですが(><)
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考えれば考えるほどに『空(くう)になる』ということがわからなくなって。
考えなければいいのですけど(笑)あるがままに…。。<br>
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こう見えても私、色々悩んだり凹んだりもするから、こういう時は『般若心経』を唱えて、ただそれだけに徹して一瞬でも心を『空』にしようかな。。。とも思った。
なんだか、すごく近くに祖母がいるのかな。。?なんて思ったりした。<br>
この本の出会いも昔・昔の祖母のお蔭なのかな?と。<br>
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何かあるたびに、あの時こうだったからこうなってしまった;;とか、
あの時自分がこういう状態だったから…と、とても否定的に考える自分がいたりして。<br>
だけど、今の自分は、過去のいろんなことがあったからこそ今こんな出会いが出来たり、今こんなふうに考えられたり思えたりするんだ。。。ということを思い直した日々でもあった。<br>
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それから…。『季節の行事は、一つ一つ人生の節目。だらだらと365日を生きていたら、過ぎたことは忘れてしまうんですね。だから、節目節目に自分の人生を振り返る。』と。<br>
日々の節目、人生の節目を大切に。。。忘れないようにしたいなぁと思う。<br>
そのために日記やブログに書いて残しておこう♪と思ったのでありました。

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感想投稿日 : 2007年9月19日
本棚登録日 : 2007年9月19日

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