夏の庭―The Friends

著者 :
  • 徳間書店 (2001年5月31日発売)
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本棚登録 : 990
感想 : 145
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『「なんでおまえの親父が二度結婚したのが、わしのせいなんだ」「せいっていうのとは違うよ。でも、なんかそういう仕組みになってたりするかもしれないってこと」』

湯本香樹実の描く死はたいてい明確な境を伴っているような気がする。そして作家の思いには、その境を越えて行けば死んでしまった人に今一度逢えるのかな、という期待が滲むようにも。しかしその思いの視線は一方通行で、死と生を分かつ境の色濃さばかりがいつまでも目立つようでもある。その色合いの強さは、案外と生に対する強い執着というところに根差しているのかとも見えるのだ。それがアンカーとなって打たれ、肉体はおろか思いさえもあちら側に渡ってゆくことが叶わないように見えるのかもしれない。

命あるものはいずれ誰もが死ぬ。この本の中でも直接語られているメッセージこそ、湯本香樹実の書くものの中に常にあるテーマなのだろう。死を語ることで、むしろ生がより強く表現されるという構図は、結局のところ、そういう思い、つまり、死と生が相補的な関係にあるということを、作家が見極めたいと思っているせいなのではないかと思うのだ。その探究心と言ってもよいくらいな姿勢は、どこから来るのか。それは、これまたこの本の中で語られていることだが、暗闇が怖いのはナニがそこにいるのか解らないから、という理解を作家が持っているからなんだと思う。

突き詰めて言ってしまえば、解らないことは怖い、という感覚。例えば蛇に対する恐怖心もその外形の見慣れなさにあるという理屈を聞いたこともある。だから、むしろ積極的に解らないところへ分け入っていく。見極めたいと思い、理解したいと思う。今の生を安心するために。生と死の間にある因果を見極めさえすれば、それを永遠に先送りにできるとでも言うように。

しかし、解らないこととは本当に怖いだけのことだろうか。解らないということは実はとても面白いということだ、と自分はある時突然合点したことがある。もちろん未知のことに対する不安がないと言えばうそになる。「突然の気流の影響で機体が揺れ」れば(ってなんでこんな決まりきったフレーズなんだろうね)、逆毛立つような身体の反応はやはり起こる。しかし、そんな時に自分は自分に言い聞かせる。だからどうした、と。起きつつあることはたとえどんな非道なことでも起きてしまうんだ、先を予測して怖がってもしようがない、と。

虫歯が思いのほか悪化していて初めて歯を抜かなければならなくなった時、これでもう一生歯が生えてこないなんだな、と思ったらなんだか怖かった。でもどうしますかと聞かれたら、抜くしかないなら抜くしかない、とも思った。基本的にはケセラセラ。受け止めてみて何が(自分の中から)出てくるのかを見てみようと思えば面白くなる。たとえ飛行機がばらばらになって空中に放り出されても、その時に感じたことを素直にアクセプトすればよい。解らないから怖い、というのは、解れば自分で制御できる、という傲慢の裏返しでもあるだろう。

この本は、湯本香樹実が、死を意識しながら生を語り、生に拘りながら死に怯えるような物語を描く理由のようなものが見えたような気になる本だ。死に対する潔さのようなものが微塵もないのはそういうことだったのか、と妙に一人勝ってに合点。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2011年2月18日
読了日 : -
本棚登録日 : 2011年2月18日

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