みちくさ道中

著者 :
  • 平凡社 (2012年12月21日発売)
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『運命に翻弄される、とはよく言われるが、私たちは運命を勝手に、しかも自分に都合よく創作する力を持っているのではないか。偶然誰かに再会して運命を感じるその裏で、あまりピンと来ない人と五回も六回もすれ違っている可能性もある』ー『創作される運命』

人は他人に対して、首尾一貫していることを求めたがる。作品と作品を産み出す人との間にも。 かつて深夜放送のパーソナリティーをしていた中島みゆきを思い出す。繊細な言葉、練りに練られ紡ぎ出された言葉。そんなものはなんでもないと言わんばかりのあっけらかんとしたおしゃべり。震えるような哀しみや、挫けそうになる心を奮い起たせる力強さを表現する、あの歌声とは似ても似つかぬような、奇妙きてれつな声。それを面白がって受け入れる者もいれば、あれは別人だと認めない者もいた。それと似た戸惑いめいたものを、木内昇のエッセイを読む自分に発見する。

その戸惑いを越えた先に待っているもの、それは作品から想像していた通りの価値観、いや、作品を読むうちに自然と響いてしまうものとよく似た個人と歴史の関係性についての考え方。木内昇が、直接的に語り掛ける言葉の選び方、作品では触れることのないユーモアの精神。そんなことは小さなことに過ぎなくて、やはりこの歴史観に自分が惹かれていたことがよく分かる。

『ありきたりの風景やささやかな暮らしには、実はおもしろいものが山と含まれているのだ。歴史的事象に直接かかわらずとも、私たちは日々歴史を紡いでいるのだと、改めて知らされるような気さえする』ー『今和次郎ー人々の営みへのまなざし』

大きなうねりの中で、一個人の生はしばしば矮小化される。しかし矮小化する側の理屈で必ずしも歴史が動く訳でもなく、物事を動かしているのはやはり個人。一つひとつのことを伝えて行くのも個人。名を残した人たちだけで歴史が成り立つ訳ではない。教科書的な歴史観に対峙する木内昇が、竹を割ったような性格の持ち主で、歌わない時の中島みゆきのようであるのは、案外必然的なことなのかも知れない。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2014年11月25日
読了日 : -
本棚登録日 : 2014年11月25日

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