こんな光景を見ているとわたしはいつも
大事なことは大事でないことより大事だなどとは
信じられなくなる
『題はなくてもいい』
原因と結果を
覆って茂る草むらに
誰かが寝そべって
穂を嚙みながら
雲に見とれなければならない
『終わりと始まり』
わたしは解らない、と認識し続けること。それは逆に言い換えてみれば、わたしは考え続ける、ということ。恐らく、今、一番必要なこと。
自分の力ではどうにもならない悲劇に見舞われた時、その衝撃のもたらす痺れから人は中々立ち上がることが出来ない。それは仕方のないことでもあるけれど、思考停止は往々にして更なる悲劇を引き込みかねない。痺れていたとしても考え続けることの大切さは、何も詩人にのみ課せられた責任ではないだろう。
何かをしようとする多くの場合、始まりがあって終わりを予測し行動を起こすけれど、そしてその因果律的展開を頼っているけれど、本当は、終わりから遡って始まりを咀嚼することの方がはるかに大事。雲に見とれなければならない、と未来予想のように語られる風景が今の現実であることを、忘れてはならない。傍には、自らの身体から流れ出る血のつくる血溜まりがあることを忘れてはならない。起きてしまったことは変えられはしないけれど、考え続けることで未来は変えられる。
詩とは究極のアフォリズム。
詩人とは肩書きに縛られない哲学者。
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- 感想投稿日 : 2013年9月18日
- 読了日 : 2024年1月29日
- 本棚登録日 : 2013年9月18日
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