著者のものの見方には、はっとさせられる。本書で一番よかったのは「きものは謙虚、洋服は尊大」の中の一文。
”シャツなどを頭からかぶったり、手を突っ込んだりする人の姿は、嫌というよりも、なんでそこまでするのか、情けないとすら感じます。”
言われてみれば本当だ。洋服を着るというのは、なんと不自然で窮屈で、滑稽なことだったんだろう。
こんなことを言うと怒る人もいるかもしれないが、私は、服を着させられたペットの犬猫を見ると、ちょうど、そんな風に思ったものだ。しかし、考えてみれば人間だって同じだったのだ。自らあえて窮屈な恰好をしているのかということに、なぜ疑問を抱かなかったのだろう。
ちょうど渡辺京二著「逝きし世の面影」を読んでいるのだが、江戸末期あるいは明治初期に初めて西洋人を見た日本人が、彼らの来ている服を、よってたかってつついたり引っ張ったりした、という話が何度か出てきた。デザインが違うとはいえ、何をそんなに珍しいと感じたのだろうか、と不思議に思っていた。
しかし、体を「包む」きものと体を「入れる」洋服は、まったく違うものだったのだ。当時の日本人は、好き好んで窮屈な恰好をしている西洋人の姿に、ちょうど私が動物が服を着た姿を見て思うような、不自然さや滑稽さを感じていたのかもしれない。
時の流れは、ものの見方も大きく変えていく。特にここ100年の日本では、文化によるギャップよりも世代間のギャップの方が大きいかもしれない。そして、その変化は良いことばかりではないだろう。そういう意味では、若い人ほど、篠田氏の言葉に学ぶことは多いと思う。
- 感想投稿日 : 2020年12月22日
- 読了日 : 2020年12月19日
- 本棚登録日 : 2020年12月19日
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