ことばは変わる ─ はじめての比較言語学

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  • 白水社 (2011年11月29日発売)
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 ラングとパロールを「言語とことば」と呼ぶことにしたのはいいが,その直後で「言語は変化する」と銘打っておきながら,例示されるのは「ことば」の方ばかりなので,定義通りに用語を使わないところから理系的素養がなさそうな匂いがプンプンする。同じく第1章に「科学とは本来,複雑なもの。ところが単純な答えを求める人は少なくない。(p.21)」というのも,ことば足らずで科学オンチの匂いがプンプンする。「ユニバーサルな現象を求める声は高い。だが,違いのほうに目が行くわたしには,不可能にしか思えない。」(p.82) とも言っている。違いに目が行くのは科学を勉強していなくても(科学を勉強していないから?)非専門家に多い。
 とはいえ,語り口の軽妙さは相変わらず。入門というか入門前には非常に適していると思うけど,理論を打ち立てるアプローチが欠損している場合は科学ではなく「ことばものしり」でしかない。「20年足らずの言語活動からエラソーな結論を出してもらっては困るのだが」(p.16) という表現も経験主義の悪いところを感じさせる。


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 こちらだって,なんとか分かりやすく伝えようと,努力はしている。だが,分かりにくい話を分かりやすくする方法が,そこらに転がっているわけではない。あったら教えてほしい。(p.14)

 先のことは分からない。ただ,可能性を考えるとき,歴史を振り返ることは大切である。
 わたしは人文科学が過去を見つめる学問だと考えている。現在を見つめる社会科学や,未来を見つめる自然科学に比べると,人文科学はなんとなく地味だなあと感じることもある。
 だが過去をきちんと整理しないで,やみくもに未来へ進むことがはたしていいことなのか。むしろ現在を正しく把握し,未来に対して的確な判断をするためにも,過去を知っておくことは非常に重要であるはずだ。
 少なくとも言語の研究では,比較言語学のように過去を追究する分野が現代の研究に必ず役立つ。だからこそ,絶対に無視してほしくないのである。(p.63)

 ラスクはなるべくたくさんの言語を同じ方針でまとめ,それをもとに比較をしていこうと考えた。ということは,なるべくたくさんの言語を勉強しようとがんばっていたことになる。そういう人をわたしは尊敬する。だって,最近の「言語学者」は,なるべく少ない数の言語を研究して,なるべく多くの論文を量産しようとするんだもん。
 彼の研究はデンマーク語で書かれたものが少なくない。それでも注目されるんだから,それだけで優れていたのである。英語で論文を書きさえすれば注目されると考えている,現代日本の研究者と大違いだ。(p.75)

 いつの時代だって,若手は過去を乗り越えていく。だから言語学の大御所が「昔は言語学が輝いていたなあ」なんてぼやいていても,気にしてはいけないのである。(p.80)

 [言語学における偉大な功績なのであって]個人名ではないと断っているのにこういう意見を書く人が,とくに英語専攻の受講生に多かった。生成文法に洗脳されすぎではないだろうか。ほかにはソシュールやサピアを挙げた者がいた。「黒田龍之助」の名前を挙げた者さえいたが,これはこの講義の単位に卒業がかかっている4年生であった。(p.83)

 「言語学者」という語に惑わされないでほしい。学術論文を書いているとか,大学に勤めているとか,はたまた立派な髭を生やしているとか,そういったことは何ひとつ言語学者の条件ではなく,一般的なイメージにすぎない。
 名もない人々のさまざまな発想が,今日の言語学の基礎を築いた。わたしはそう考えているので,言語学史を「偉人伝」にはしたくないのである。(p.85)

[小学生が]作文の中に「マジ楽しかった」「ヤバイ疲れた」などと書くのは,「思ったことを素直に書きましょう」と指導しているからではないか。(p.195)

人の意見を鵜呑みにしないで,自分でも考えてみる。大学はそういう訓練をする場である。資格を取るための予備校ではない。(p.211)

だいたい,学問分野に無理して目的を作ろうとすると,なんだかコジツケみたいで,潔くないものができ上がる。大切なのは,言語自身を追究することである。(p.216)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: レンタル
感想投稿日 : 2016年1月31日
読了日 : 2016年2月2日
本棚登録日 : 2016年1月31日

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