中島敦の短編集。
ちょっとおもしろいセレクションで、「狐憑(きつねつき)」「木乃伊(ミイラ)」「文字禍(もじか)」「牛人(ぎゅうじん)」「斗南先生(となんせんせい)」「虎狩(とらがり)」の6編を収める。
中島敦といえば、流麗高雅な漢文調の文章が思い浮かぶが、それも知識人一族の中に育ち、漢文の素養があってのこと。祖父も伯父たちも漢学者、父は漢文教師、生母・継母・伯母も教師。とにかく教養を叩き込まれていなければ、自分の手であれだけの作品を生み出すことなどできないのだろう。敦の強みはその上に、英語も学び、世界への目が開かれていたことだ。遠く、ギリシャ、エジプト、メソポタミアまで。時を超え、それらの地で栄えた古代文明まで。
最初の3編は、古代オリエントを舞台とする。ホメロスの故事やヘロドトス『歴史』の一節が引かれ、物語の雰囲気を盛り上げる。
「狐憑」は、ある事件がきっかけで語り部・詩人となった男に起こる悲劇。
「木乃伊」は、エジプトに攻め込んだペルシャの将軍に呼び覚まされるある「記憶」。
「文字禍」は、”文字の霊”に取りつかれた学者が主人公。彼は、文字の精霊が人類を滅ぼそうとしていると思い込んでいる。だが、他の誰もそんなことは信じない。文字を見詰めるあまり、何だかそれが今でいうゲシュタルト崩壊のように崩れ始めるのだが、崩れていくのはそればかりではなくて・・・といったお話。
いずれも奇妙な味の怪異譚の趣。
「牛人」の舞台は古代中国で、中島お手の物の一編。
大夫(小領主)の庶子で、愚鈍と思われている男。色黒で背が曲がり、身体は大きい。全体として牛によく似ている。大夫に忠実で、側に常に付き従う。だが、大夫が病に倒れた後、次第に牛人の邪悪な顔が姿を現す。
ぬぼーっとした牛人の不気味さに背筋が冷える。
直接関係はないが、「件(くだん)」(顔が人、体が牛の妖怪。重大な事柄について予言をし、それは必ず当たると言われている)も少し思い出させる。
最後の2編は私小説風。
「斗南先生」とは、敦の伯父、中島端のこと。作中では敦は三造の名になっている。端は、学はあるが偏屈な老人であった。三造はなぜかこの伯父に気に入られ、その世話に駆り出される。老人のわがままに振り回され、しかし彼の中に自分に似た気質を見る。知識人ではあるけれど、ある種、不遇というか、世に珍重はされていない、個性の強い老人が活写される。
「虎狩」は子供の頃の思い出を含む。敦は少年時代を京城(現在のソウル)で過ごしている。その時、親しくしていた朝鮮の少年と出かけた虎狩の話。思春期の少年の交友と微妙な心の揺れ。そして臨場感のある虎狩。さて、どこまで実体験に基づくのかはわからないが、「山月記」の虎は、リアルな虎を知ってこその描写なのかもしれない。
いずれも佳品。知識人、中島の底力に唸る。
早逝が惜しまれる。
- 感想投稿日 : 2021年7月12日
- 読了日 : 2021年7月12日
- 本棚登録日 : 2021年7月12日
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