数学する身体 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (2018年4月27日発売)
3.64
  • (38)
  • (68)
  • (65)
  • (10)
  • (7)
本棚登録 : 1432
感想 : 95
3

一風変わった数学への手引き書である。どこか哲学書のような雰囲気も漂う。数学史のような記述もあれば、数学に関するエッセイのようでもある。
だが各々の断章は確実に1つの命題に結び付けられる。
すなわち、タイトルの「数学する身体」に。

数学は不思議な学問である。1から始まり、推論を重ね、数学世界を構築していく。数論、確率、幾何、さまざまな分野が、それぞれの用語で論理を組み立て、視野を広げていく。それらは世界を普遍的に捉えることを目する。
けれどもそれを作り上げている人間は、有限の存在である。自分が何者かわからずに生まれ、最終的には死んでいくのが人間である。ある意味、あやふやな存在が、原点から出発して、周囲を少しずつ認識し、仮定から推論を重ね、確固たる世界を築き上げようとしていく。
数学は身体から生まれる。
身体が数学をする。
数学的真理は普遍的と見なされるけれども、それを生み出すのははかない身体である。
数学は身体を超える力を持ちつつも、身体なくては生まれず、また発展しえないものでもある。
本書では、こうした数学と身体の関わりについて、考察を重ねていく。

特に大きく扱われているのが、コンピュータの父と呼ばれるアラン・チューリングと、在野の数学者・岡潔である。
チューリングは、ドイツ軍の暗号エニグマを解いたことでも有名であり、人間を演じ切る機械を作ることは可能かと問う「イミテーション(模倣)ゲーム」の命題でも知られる。チューリングは分析の人だった。人の心をタマネギの皮をむくように1つ1つ解き明かしていく。むいてむいて、最後には何が残るだろうか。そうした形で発展していったのがチューリングの研究の仕方である。
対して、岡は数学を生きた人である。というよりは、彼にとっては生きること自体が命題であり、その1つの発露が数学であったにすぎないのかもしれない。岡は「情緒」という言葉を好んで使った。
数学を身体から切り離し、客観化された対象を分析的に「理解」しようとするのではなく、数学と心通わせ合って、それと一つになって「わかろう」とした

著者もまた、チューリングの姿勢よりは、岡の「生き方」に魅かれているようにも見える。

著者は武術家の甲野善紀とも親交があり、そういう点からも、「身体」へのまなざしが感じ取れる。
そうして生み出される著者自身の数学がどのようなものなのか、本書からはうかがい知れないのが若干残念なのだが、それは読み手である自分自身の力不足なのかもしれない。

不思議な広がりを持つ1冊である。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 数学
感想投稿日 : 2020年7月30日
読了日 : 2020年7月30日
本棚登録日 : 2020年7月30日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする