ホロコーストに関して、あれこれと読む中で、ハンナ・アーレントという名前に幾度か遭遇し、いつかきちんと読もうと思っていた。先日、機会があって、『イェルサレムのアイヒマン』を読んだ。感銘を受ける一方、いまひとつ読みこなせた自信が持てず、もう少し、アーレント関連の本を読んでみたいと思っていたところ、よい評伝が出ていると聞き、手に取ってみたのが本書である。
アーレントに興味があって何か読みたいという方は、まずこちらを読む方が適当かもしれない。
アーレントの生涯とその思想の道筋がコンパクトかつ明晰にまとめられた1冊。
門外漢にもわかりやすい言葉で、アーレントの思索へと読者を導く。客観的事実に内面への考察を加えたほどよい距離感は、おそらくは、著者がアーレントに向ける冷静な敬愛の賜物だろう。
アーレントは、ドイツ中産階級のユダヤ人の両親の元に生を受けている。ユダヤ教信徒ではなかったがユダヤ人である自覚をなくしたことはなく、一方で、社交的な母の元、さまざまな宗教的・文化的背景の人々とも触れ合った。シナゴーグにもキリスト教の日曜学校にも接点を持ち、進歩的な考えの人々とのつながりもあった。
思索に耽り、詩を愛する少女は、長じて、哲学を学ぶことを決意する。
マールブルグ大学に入学したアーレントは、時の人・ハイデガーの「ミューズ」となる。不倫関係は長くは続かず、アーレントはハイデルベルク大学に移る。ハイデガーは、後に一時、親ナチスの立場を取っている。アーレントはハイデガーが誠実さに欠けることは知りつつ、その思想・哲学には惹かれ続けたようである。
ハイデルベルグ大学で博士論文の指導を受けたヤスパースとは、生涯に渡る師弟関係を結んでいる。同時期、シオニスト指導者のブルーメンフェルトとも出会い、父のような存在として深い交流を持つ。
ナチスが台頭する中、アーレントはヨーロッパ各地を転々とし、一時期、フランスで収容所生活を送る。辛くもそこを抜け出し、苦労の末に難民としてアメリカに渡る。混乱の中で、親しい人々の中にも、絶滅収容所に送られるもの、絶望して自ら命を絶つものがあった。
アメリカに噂として伝わってきた大量殺戮は、身を以てナチスの危険を知っていたはずのアーレントたちユダヤ系難民にすら、衝撃的な事実だった。
人間を大量に殺すために作られたシステム。
それは1つの民族が嫌われることに止まらない、理解を越えた絶望的な事件だった。アーレントはしかし、それを理解するため、考え続けていくのである。
思考し、理解しようとし続けることで「世界」と向き合い、対話するために。
ユダヤ人であってもユダヤ教徒ではなく、生まれ故郷を追われるように去り、どこにも確固たる根がない。アーレントはどの集団にも属そうとはしなかった。友人は大切な存在だったが、それは個人としての結びつきであった。
「アイヒマン裁判」を傍聴した報告書である『イェルサレムのアイヒマン』は大きな反響を呼び、同時に、激しい非難を浴びた。ユダヤ人自身の責任を問う問題提起に対する反感は特に高く、アーレントは多くのユダヤ人友人を失う。
アーレントの視線は「どこにも属さないもの」の視線であり、その馴れ合いを排した客観性は、場合によっては「冷たい」と捉えられかねないものだっただろう。
特にホロコーストのような出来事の中で、「被害者」側に対する批判が激しい拒絶反応を引き起こしたのは、ある意味、無理のないことに思われる。
だが、アーレントは一方でそれに傷つきながらも、屈することはなかった。
アーレントは思索は1人でするものだと言っている。一方で、世界とのつながりを絶つことはしていない。それは思索のための思索ではなく、世界を理解するための思索だからである。ときには人と交わりつつ、ときには1人思索を深める。そうすることにより、世界のリアリティと向き合い続ける。その姿勢は思索を職業とするのではないすべての人々に必要なものだとアーレントは説く。
アーレントが魅力的であるのは、アーレントの思考に触れることで、自分の思考もまた動き出し、深まりを持とうとするためなのだろう。渦巻きを作り出す最初の力、結晶の核となる最初の粒。そうした原動力がこの人の中にはあるのだと思う。
- 感想投稿日 : 2014年5月25日
- 読了日 : 2014年5月25日
- 本棚登録日 : 2014年5月25日
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