鹿と日本人―野生との共生1000年の知恵

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  • 築地書館 (2018年7月2日発売)
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タイトルは大きいが、本書では主に、「奈良のシカ(本書中ではナラシカと呼ぶ)」について述べている。だがこれが「ナラシカと奈良市民」に留まる話か、といえば、後半にいくとそうではないことがわかる。やはり「鹿と日本人」なのである。

奈良は、野生動物と触れ合うという意味では稀有な地である。奈良を訪れた人なら誰でも、奈良公園周辺に多くいる鹿を目にするだろう。そして多くの人は、一度くらいは屋台の「鹿せんべい」を買い、鹿に与えてみたことがあるだろう。封じ紙を解くか解かないかのうちに鹿に束ごとせんべいを取られたり、じらしすぎて体当たりされたり、逆に時間帯によっては鹿が食べ飽きていて思うように寄ってこなかったりしたこともあるだろう。
人慣れしたナラシカだが、実は彼らは「野生動物」の区分にある。「放し飼い」されているわけでも「餌付け」されているわけでもない。あくまで「人の多い観光地に生息する野生動物」である。鹿せんべいは彼らにとっては「おやつ」に過ぎず、主食は草や木の葉である。
彼らは今や、奈良観光にはなくてはならない存在となっている。たとえ古都の社寺や仏像を見に来たとしても、観光客の印象に残るのはむしろ鹿の方であることも珍しくない。つぶらな瞳の野生動物が、街を歩き回り、人を恐れずに近寄ってきて、手から餌を食べるという体験は、そうどこでもできることではない。
こうしたことが可能になった背景には、奈良と鹿の特異な歴史的な経緯がある。

本書の前半は市街地に生きる鹿の暮らしぶりや、奈良のシカが街中を闊歩するようになるまでの歴史に触れる。鹿の保護にあたる「奈良の鹿愛護会」や、鹿のトラブルの相談にあたる「奈良公園のシカ相談室」など、民営団体の活動も紹介する。
神の使い、神鹿とされていた昔は、鹿を殺して死罪となった者もいた。そうして保護されてきた歴史の流れで、奈良の鹿は市街地に居ついていった。現在では交通事故などで怪我をした個体を収容・治療したり、妊娠中の個体を隔離したりといった積極的な保護活動も行われている。秋の角切のように、実益を伴う風物詩的な活動もある。
だが、保護した結果として、鹿が増えすぎることには弊害もある。大きなものは、周囲への食害である。鹿の食欲は相当なもので、森林が丸裸になったり、さらにそれでは足りずに農地を荒らすものもいる。難しいのは、市街地に住むナラシカは保護の対象だが、基本、この鹿は特に特別な種類ではなく、ある特定の地域に住むニホンジカに過ぎない点である。これがちょっと足を延ばして周辺地域で食害を起こしたとき、それは直ちに駆除してもよいのか、するべきなのか、というのはなかなか難しい問題である。

後半は、ナラシカの状況を踏まえたうえで、鹿と人との共存の話に移っていく。このあたりの話題の方が、著者の主眼であったのだろうと思う。
近年、鹿が獣害の主役となってきたのはなぜか、ジビエは獣害対策に有効なのか、他の地域の他の動物ではどのようなことが起きているのかなどを見ていく。
鹿は可食部分が少なく、仕留めてすぐに処理しないと食用には向かないという。脂がのって肉がおいしくなるのは冬であるため、食害の多い夏に捕っても良質の肉は取れないといったことからも、実は鹿をジビエに利用すれば一石二鳥とはなかなかいかないものなのだそうである。
また、鹿は猪などと比べても圧倒的に「かわいい」。このため、殺処分に対して「かわいそう」「ひどい」という声が多いのも特徴だ。
だがその旺盛な食欲は問題で、奈良周辺でも春日山原始林に大きな影響を与えている。「世界遺産(=原始林)を天然記念物(=ナラシカ)が食べる」という皮肉な状況になっているのだ。

ナラシカは観光資源として役に立っている面もあり、一概に排除するわけにはいかない。
だがやはり増えすぎれば弊害も出る。その折り合いをどこでどのようにして付けるのか、ナラシカの未来に関わる問題は、そのまま、日本の野生動物の問題につながっている。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 生物
感想投稿日 : 2018年12月8日
読了日 : 2018年12月8日
本棚登録日 : 2018年12月8日

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