哲学者の密室 (創元推理文庫)

著者 :
  • 東京創元社 (2002年4月12日発売)
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5

 1945年のドイツと1974年のフランス、30年の時を経て起きた2種類の「三重密室」事件。現象学を駆使する哲学者が読み解く、事件解決に必要な、関係者達が抱えるそれぞれの「死の哲学」とは。
 「死」とは、「生」とは何かを考えさせられる、哲学的推理小説。

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 残酷で悲劇的な死の描写で溢れているが、映像化されたほど人気がある作品がある。なぜこのような絶望的なサバイバルを描いた作品に一定の人気があるのか。そう考えたことはないだろうか。この『哲学者の密室』は、その回答となりえるかもしれない。

 この作品は三部に分かれている。前篇の舞台は1974年のフランス。匿名の通報で資産家の家に駆けつけた警察が発見したのは、胸部に刃が突き刺された老人の死体。しかも発見場所は、簡単に言うと「三重の密室」で閉ざされており、解決の困難さが容易に想起できる複雑怪奇な様相を見せていた。この事件の謎に、現場に駆けつけた警視、警視の娘、娘の友人である哲学者の三者が挑む。
 中篇では舞台は一転、1945年のドイツとなる。場所はユダヤ人の強制収容所、悪名高い絶滅収容所、殺人工場である。そこの所長に囲われていたユダヤ人女性が、監禁場所で死体となって発見された。発見者は敵の進軍を考慮し、収容所の撤収作業を命ぜられた武装親衛隊少佐に同行した部下の軍曹。現場には所長がいて自殺を主張するが、死体には他殺の疑いも残っていた。しかも現場は、所長以外の人間の出入りが不可能な「三重の密室」の体を成していた。
 後篇ではフランスに戻り、過去のドイツと現在のフランス、双方の密室事件の解明が試みられる。ここで哲学者・矢吹駆が考察するのは、関係者それぞれが抱える「死の哲学」だった。

 彼は言う。
「(前略)長いこと僕は、死とはたんなる生の不在であると感じていた。あるいは死は、瞬間的に到来するものだと。
 暖かい室内から、凍えるような戸外に出る。生と死は、そのように直線で分割された、対照的な二つの領域であると。だから、できることなら自分に納得できるような形で、生と死を分けている絶対的な線を越えたいとも願った。
 しかし、そのような画然とした死は、たぶん青年が想像する死なんだね。そのような死もありうるだろう、たとえば戦場の死のように。しかし、それは例外的なんだ。死とは、本質的に惨めなものではないだろうか、あの老婆のように。惨めで、だらしなくて、無様に弛んで、直視できないほどに醜いもの。我慢できないほどの嫌悪感をもたらすもの、不気味なもの、おぞましいもの。(後略)」【690頁】

 「そのおぞましい死を隠蔽するために、勇敢な死、決意された死、美しい死の観念が生じる。」――と若き哲学者は続ける。

 絶望的なサバイバルの中で、キャラクターは惨たらしい最期を迎える。喰われたり、裂かれたり、潰されたり。だが、あくまでそれらは虚構であり、例外的だ。何事も起きない限り、我々が迎える死は、苦痛に満ちた、永遠に続くかにも感じられる、だらだらとしたモラトリアム(猶予期間)のような死期である。
 人は、自覚・無自覚に関わらずその事実から目を背けたいがために、躍動感や未来に対する希望などに溢れた生と、理不尽な突然死が描かれた作品に目を向けるのではないだろうか。
 そして、だからこそ、山田雄介に代表されるホラーやヒロイックな物語、怪談等が周期的に売れるのではないだろうか。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 本#900:小説
感想投稿日 : 2012年12月16日
読了日 : 2012年12月15日
本棚登録日 : 2012年12月15日

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