「狂気の歴史」、「言葉と物」、「監獄の誕生」は一通り読んだものの、後期フーコーはまったくカバーしていないことがずっと気がかりで、読んだ。
著者は「性の歴史」に対して辛口で、講義録も合わせて読まなければフーコーの真意はわからないかもと書いていた。
今後読むかどうかはわからないけれど、「自己のテクノロジー」というワードはかなり重要な意味を持ちそう。
もはや私たち人間は、カント的な意味において人間でいることに限界が来ていて、自分であることを持て余している。
では、人間でなくなることにおいて、どのようなオルタナティブを考えうるか。無粋な考えだけれど、あと20年フーコーが生きていたら、それについて幻の大著を著していたかもしれない。けれども、フーコーはみずからをみずからの「公的な」理性と欲望によって享楽し、死んでいった。むしろフーコーは言うかもしれない。どうして君たちのために、そこまでしなければならないのか。
あとは自分が考えるしかない。
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
哲学・思想・宗教
- 感想投稿日 : 2019年6月21日
- 読了日 : 2019年6月21日
- 本棚登録日 : 2019年6月8日
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