養老孟司氏が面白いと言っていた本。
嫌なことがあると、自分の意思とは無関係に何度も何度も頭に浮かび、読書をしても頭に入らない事がある。こうした想起をコントロールできれば、随分楽になるのに。想起が止まらず、その想起によって情動が繰り返される。自分の身体なのに、完全には自分で管理できない。欲望も、ストレスも、嫉妬も、悲しみも、後悔の念も。一体人間とはどこまで自分の意思で構成されているのか。答えの一部は、この本にある。
「経験盲が示す、過去の経験が感覚情報に意味を付与するという現象」
ここが、先ず面白い。文章だけ読むとわかり難いが、ロールシャッハテストのような黒い影で意味不明な絵柄が示される。じっくり見るが、わからない。しかし、この絵柄の答えが示される。すると、次から、その答えにしか見えなくなる。これが経験盲だが、脳は、経験により感覚情報(知覚の答え)を増やしていく。現象に、予測づくり(意味づけ)をしていく。パッと目に入ったものが危険か否か。危険な場合は瞬時に回避態勢が取れるように心拍を上げる。この予測こそ人間の脳の極めて基本的な活動である。
脳は外からやってくる刺激に反応するだけの単純な機械なのではなく、内因性脳活動を生成する無数の予測ループとして構造化されている。ゆえに、おむつに茶色いご飯をつけたものを見た被験者は、実際の感覚入力よりも、予測を優先し、汚いものだと認識した。私たちは絶え間ない予測を通じて、感覚世界によるチェックを受けつつ構築した独自の世界を経験しているのだ。予測が十分に正しければ、知覚や行動を生むだけでなく、感覚刺激の意味を説明する。これが基本的な脳の働きである。脳は驚くべきことに、未来を予測するだけでなく、未来を思い浮かべることができる。情動は、世界に対する反応ではなく、自分たちが気づいた世界に関する構築物である。
脳は過去の体験をインスタンスとして構築し、概念システムが状況に応じてそのインスタンスを抽出する。例えば海で水着がずれた時、とっさに、過去の恥ずかしかった体験をインスタンスとして促す。脳の仕事は予測とエラーの訂正である。
先立つ経験によりその瞬間に受け取った感覚刺激から意味が形作られるのである。情動はそれと同じ手法によって作り出される。
つまり情動は意味であり、行動の処方箋である。
AIが自己保存のための回避態勢を取ろうと一気に心拍を上げるとき、もしかするとそこには感情が発生していると言えるのかもしれない。行動における態勢変化のために、情動がある。人間は、脳が現象を訂正しきれないとき、止めどなく感情があふれ出してしまう。自分を律しきれない事こそが人間なのかもしれない。
- 感想投稿日 : 2024年3月22日
- 読了日 : 2024年3月22日
- 本棚登録日 : 2024年3月17日
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