カルヴィーノの新しい本が出てるのかーと、本屋へ見にいって買ってくる(読んだあとは、へのへのもへじ文庫に持っていこうと思い)。『マルコヴァルドさんの四季』をへのへのもへじ文庫で借りて読んだのは、2年ほど前。
訳者あとがきによると、カルヴィーノが200篇を編んだ『イタリア民話集』(邦訳は岩波文庫の上下巻)のなかから選ばれた34篇にエマヌエーレ・ルッツァーノの挿絵をつけて刊行されたのが、この『みどりの小鳥』だという(挿絵は岩波少年文庫にも掲載されていて、これがまたいい)。
トリーノの出版社から民話集を編むよう要請をうけたカルヴィーノが、他の仕事を中断して1954年から民話探索にかかり、詳しい注と文献目録をつけてこの民話集を完成したのが1956年、挿絵入りの『みどりの小鳥』が刊行されたのが1972年というから、長い長い時間を経て、イタリアの民話を語りきかせてもらったような気持ち。
「おかしな話」や「りこう者が勝つ話」など、民話には、それが語られた地域や時代を問わず、似たモチーフがあらわれるものらしい。まえに読んだ『昔話とは何か』をぼんやり思い出す。これらの民話は、どんなふうに語られてきたのだろうと思う。
イタリア民話を読んでいると、ひさしぶりにシンガーの物語を(『お話を運んだ馬』などを)読みたくなったりした。
ちょうど『翻訳がつくる日本語』を読みかけてるせいか、訳文の日本語と、その話者の属性とが、ちらっと気になった。 たとえば表題作「みどりの小鳥」に出てくる娘たちのことば。
▼「あたしは王さまのパン焼きと結婚できたら、宮廷の人たちが食べる一年分のパンを、たった一日でつくってみせるわ。それほどまでにあの美しいパン焼きの若者が好きなの!」(p.269)
この「あたし」「わ」「なの!」とか…いつのことやらはっきりしない時代の話だから、現代日本の女性がほとんど使わないような「女ことば」なのだろうか、あるいは…と思ったりした。
(4/22了)
- 感想投稿日 : 2014年4月22日
- 読了日 : 2014年4月22日
- 本棚登録日 : 2014年4月22日
みんなの感想をみる