災害がほんとうに襲った時――阪神淡路大震災50日間の記録

著者 :
  • みすず書房 (2011年4月21日発売)
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中井久夫が阪神大震災時後に書いた『1995年1月・神戸』は、昨年の3月の大震災後に、まずネットで無償公開された(そのきっかけとなったのは最相葉月さんで、東京の住まいで落下した本のなかにこの本があり、これはいま役に立つと判断したことだという)。

その後、編みなおされて新たな本が出る予定だということは知っていた。その新しい本を図書館で見かけたので借りてきた。冒頭には新しい稿として、「東日本巨大災害のテレビをみつつ 2011年3月11日-3月28日」が置かれ、『1995年1月・神戸』から「災害がほんとうに襲ったとき」が再録されている。

『1995年1月・神戸』を去年の春に読んでいたけれど、新編のこの本を読みなおして、「災害がほんとうに襲ったとき」の末尾、1/17からおよそ40日後の3月2日に記されている、この一節が印象にのこった。

▼夕方、秘書とJR神戸駅前に向かって歩いた。春の匂いを風が運んでいた。すべてはほどけてやわらかかった。「終わったという感じが流れているね、まだ不通の電車も避難所もあるのに」「4、50日しかスタミナは続かぬだよ、生理的に」「その間に主なことをやってしまう必要がありますね」。われわれはやりおおせたのだろうか。(p.111)

この4、50日の「戦闘消耗」の話が、「私の日程表 1995.1.16~2/28」に書かれている。

▼「戦闘消耗」とは、ベテランの下士官など、戦争のプロが、程度の差はあっても突然戦闘を継続するのがバカバカしくなり、武器をかなぐり捨ててどうでもなれという態度に出ることであって、ナチス・ドイツが戦争末期までこまめに兵士に休暇を与えて鉄道で故国に帰していたのも、米軍がベトナム戦争で三週間ごとにヘリコプターで兵士を前線からサイゴンに送り返していたのも、40日から50日をピークとする「戦闘消耗」を避けるためであった。ここで、興味を感じたのは、軍事精神医学では「戦闘消耗」は困った病的状態とされるが、実際は、戦闘という無理を自己激励によって心身に強いてきたのが限界に達して、雪の積もった竹が跳ね返るように、精神が正常化する事態だということである。(p.129)

95年に61歳の精神科部長だった中井は、昨年77歳だった。神戸の記憶をよびさまし、重ね合わせ、比較し、考えたことが冒頭には書かれている。「現場は重要だが、まわれる場所の数は限られている。現場に立てば、そこの眼の前の印象に支配されてしまう」(p.13)と中井は書き、神戸の経験を重ねながら新聞記事やテレビ報道をみていた、という。

私は去年の3/11の夕方以降、いつもはほとんどみないテレビ映像を何時間かみて、ひどくつらくなった。翌日はテレビを消し、ネットのニュースも、メールもあまりみないようにした。その3/12には、また長野北部を震源とする大きな地震があった。以後も、かなり大きな「余震」が頻々とあり、けれどその揺れをは身体でほとんど感じることのない大阪の私には、17年前の1月や2月のあの余震の続いた日々、ぐっすり寝た気のしなかったあの頃を重ねて、かろうじて想像できるものだった。

その距離感を、あらためて感じる。

今回読みなおして、中井が「長大な天皇論」を執筆した話が書かれていることに気づく(前に読んだ時には、何も印象に残っていなかった)。「私の中の「昭和」が私を突き上げ、私はほとんど狂わんばかりにして」(p.101)書いたというその論文は、知る人は少ないと思うとあるのだが、図書館で探してもらえば、読めるだろうか。

(3/15了)

※追記:ネット検索で探してみたところでは、「「昭和」を送る─ひととしての昭和天皇─」(文化会議239号、1989年)が近い気がして、図書館でこれを読みたいですと頼んできた。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 図書館で借りた
感想投稿日 : 2012年3月17日
読了日 : 2012年3月15日
本棚登録日 : 2012年3月15日

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