あのころ、先生がいた。 (よりみちパン!セ 31)

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  • 理論社 (2007年12月21日発売)
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伊藤比呂美はこないだ『女の絶望』を読んだが、それと同じく、『虹色ドロップ』で夏石さんが紹介してるのを読んだら、また読みたくなって借りてきた。

探してみたら、私はこの本を2008年の3月に読んでいた。伊藤比呂美が、かつて習った小・中・高の先生のうち、おぼえてる人について書いたもの。

また読んでもやはりおもしろい。私も「おぼえてるセンセイの記」を書いてみようかな~と前に読んだときにも思ったが、このたび読んでもやはり思った。

常識の蹴やぶりかた。
自分をつらぬく強さ。

そんなのを、伊藤比呂美はあの先生、この先生から学んだのである。

伊藤がその授業が好きだったという、高校家庭科の「直立カバ」先生。ああ、伊藤の時代にも、「柔道か剣道」という男子選択の授業と「家庭科」という女子選択の授業は同じ時間にあったんやなと思った。私が高校生のときも、私が通っていた高校はそうだった。そして私は、伊藤の同級生にもそういう人がいたように、この選択が男女によって分けられることに(なんで?)と思っていた。

赤ん坊の具合がわるいときのウンコの状態をうつすスライドを見せられながら、(こんなん女子だけが見てどないすんねん)とずっと思っていた。近所の別の高校では男女共修でやってるらしいとなぜか私は知っていて、私の学年を担当していたタタバアが調理実習に「白い割烹着」をもってこいと言うような人であったせいもあって、私は家庭科という教科は決してキライではなかったが、女子だけが家庭科というのは、ほんとうにむかむかと気分がわるかった。

おそろいの白い割烹着は、きもちがわるすぎるし、ウチには前を覆うエプロンはあっても割烹着はなかったし、新しく買うつもりは全くなく、私は色の布で割烹着を自分で縫って、タタバアに何を言われようと、美術と兼用でその割烹着で授業に出ていた。

夏石さんが書くように「こんな先生が、伊藤比呂美に味付けをしたのか、と楽しくなってくる」この本は、ついでにつるつると、「自分にとっての先生」を思い出させて、やはり私も「おぼえてるセンセイの記」を書きたくなるのだった。中2のときの古文の先生とか、小6の担任だった先生とか、高校の現社の先生とか。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 図書館で借りた
感想投稿日 : 2010年9月19日
読了日 : 2010年9月19日
本棚登録日 : 2010年9月19日

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