この本で述べられている内容は、胸にとどめておいて損は無いものであるとは思う。
しかし後述するような、読み進めていくと引っかかる部分や荒削りな内容も多く、自分はその内容をなかなか素直に受け取ることはできなかった。さらっと呼んで要素要素を抽出して、頭に残していくほうがこの本の場合、自分には適していたのだろう。
『だいたい、そうした発言をするのは、有名大学教授は駅弁大学の教授よりえらいと決め込んでいる人々なのである。』(p174-175)
この文章を見たとき、もうこの本を読むのはやめようかと思った。
筆者は「駅弁大学」が地方国立大学を揶揄して言う場合にも使われる言葉だということを知っているのだろうか。特にこの本では、学歴を絶対視してはいけない、大学に何の目的も無く、ただ大学名に惹かれてはいるのはよくない、などと繰り返し述べられている。その文脈の中で「駅弁大学」という単語が出てきたことに目を見張った。生徒の発言を引用した形でこの文章は書かれたのかもしれないが、それにしてもそのような別称を使うべきではないだろう。
こうした著者の偏見、凝固してしまった価値観はほかにも散見される。
偏見を持ってはいけない、自分の価値観を絶対視してはいけない。そのようなことを著者がこの本の中で繰り返し述べているのにもかかわらず、である。
『恋人のいない女性ほど、この世にいないような理想的な男性について語る。』(p181)
文章中では比喩として用いられているのだが、事実かどうかは別として、はたしてここでこの比喩である必要があったのか。単なる筆者の愚痴が混ざっているのではないか。ほかにもこのような愚痴の混ざったような比喩や文章が何度も目に付いた。
『人間的魅力のない学生が、いくら教授の部屋を訪ねたり、研究室の扉をたたいたりしたところで、教師から伝わってくるものは期待できない。』
教授と学生の関係はなにも特別なものではない、普通の人間同士の、パーソナリティの問題だ、という文脈の中で唐突に現れる『人間的魅力』。 『人間的魅力』についての説明は、見受けられない。
また、著名人の言葉を引用して自分の説を強めようとする方法はこうした本でよく用いられるが、この本はやけにそれが多い。そしてそれは、本文中の筆者の主張に照らしてみれば、自分の主張に自信が無いから、ということになる。
最後に加筆されたという第6章。
文章の荒さが内容を捉えにくくしている。これならむしろ箇条書きにしたほうがよかったのではないかとさえ思う。
本文全体を通して著者の述べることはあくまで多くの見方があるうちのひとつであるのだろう。にもかかわらず筆者の主張が絶対で、ほかはすべて間違いであるかのように述べられている部分がいくつかあるのは注意していたほうがよいかもしれない。
- 感想投稿日 : 2013年2月24日
- 読了日 : 2013年2月24日
- 本棚登録日 : 2013年2月24日
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