初めての堀辰雄。
少し読んでみて、なんだか翻訳本を読んでいるかのような印象を受ける。
少し検索するとフランス文学との融合という文言を見付け、納得。
作中にも、フランスの文学作品の名が幾つも登場する。
本作の一文が長いのが気になったが、慣れてくれば、風景描写がとても美しい。
美しいと思った箇所に付箋紙を立てていたらキリがなくなった程。
小説というよりも、長い詩を読んでいるかのような印象を受けた。
『美しい村』
冒頭に"ファウスト第二部"が引用されていたり、作中では感動を交響曲に例えていたり、読んでいると音楽が流れだす作品だ。
本編前も序章ではなく"序曲"であるし、背表紙にもある通り"音楽的に構成されている"。
ここはK村(軽井沢村)。
傷心の主人公(私)は、過去の恋愛事件を小説にしようとK村へやって来る。
けれども初夏のK村の心地好さに、自分は何故あんなにも苦しんでいたのだろうとさえ思えてくる。
そこで1人の少女に心惹かれるのだが、彼女との初めての出会いのシーンも美しい。
主人公は、
「一輪の向日葵が咲きでもしたかのように、何だか思いがけないようなものが、まぶしいほど、日にきらきらとかがやき出したように思えた」
「やっと其処に、黄いろい麦藁帽子をかぶった、背の高い、痩せすぎな、一人の少女が立っているのだということを認めることが出来た」
そして、
「私の知らぬ間に、そこいら一面には、夏らしい匂いが漂い出しているのだった」
と、夏の訪れを知る。
少女への恋心と、軽井沢の美しい自然から、いつしか主人公の過去の恋愛の痛みも癒えてゆく。
さて、印象的に幾度も出てくるサナトリウム。
次の『風立ちぬ』では富士見高原療養所繋が中心的な舞台となる。
『風立ちぬ』
ジブリの「風立ちぬ」は映画館で観たが、本書はその題材となったもの。
「風立ちぬ、いざ生きめやも」は、フランスの詩人ポール・ヴァレリーの詩から引用されている。
"生きめやも"は、"生きなければならぬ"。
美しくて繊細なストーリーだった。
「こういう山のサナトリウムの生活などは、普通の人々がもう行き止まりだと信じているところから始まっているような、特殊な人間性をおのずから帯びてくるものだ」
との一文が印象深かった。
この物語は、その、人々が行き止まりだと信じている先の物語だ。
結核を患っている節子はその命の短さを予感しているが、その純粋で一途な様は儚くも美しい。
主人公(私)は節子に寄り添い、共にサナトリウムで過ごす。
そんな二人は、死を意識すればこそ、替えがたい愛しい日々を重ねてゆく。
「……その少し早い呼吸、私の手をとっているそのしなやかな手、その微笑、それからまたときどき取り交わす平凡な会話、ーーそう云ったものを若し取り除いてしまうとしたら、あとには何も残らないような単一な日々だけれどもーー我々の人生なんぞというものは要素的には実はこれだけなのだ」
健康な私自身の胸にも響く言葉だった。
さらに、こう続く。
「そして、こんなささやかなものだけで私達がこれほどまで満足していられるのは、ただ私がそれをこの女と共にしているからなのだ、と云うことを私は確信していた」
ささやかな日常こそが幸福だと確信できるのは、そこに本当の愛が存在するからだ。
節子が弱っていく様は痛々しいけれど、堀辰雄は美しく昇華しているように感じた。
それでも普段は"彼女"と書かれる"私目線の節子"が、"病人"という三人称で書かれる部分が出てきて、読者である私も、節子の死が近いことを意識する。
節子の隣に居る主人公の複雑な思いが、丁寧に、幾度も表現を変えて描かれる。
二人きりで高原で過ごせる幸せのひととき。
けれどその暮らしは、節子の病がもたらした限りあるひとときであり、先に待っているのは節子の死。
「私達のいくぶん死の味のする生の幸福は……」
「私は彼女と心臓の鼓動さえ共にした」
「……こうして病人と共に愉しむように味わっている生の快楽」
「おれ達がこうしてお互いに与えあっているこの幸福」
「あのときの幸福に似た、しかしもっともっと胸のしめつけられるような見知らない感動」
まだまだ沢山の思いが、作中に溢れている。
その後、主人公は1人K村を訪れ、節子との思い出に浸る。
外国人らに"幸福の谷"と呼ばれているらしき場所も、彼には"死のかげの谷"と言った方が似合いそうだと思える。
けれど冬という季節が見せる景色、節子との思い出、ドイツ人の神父からの言葉などから、
彼の心に変化が現れる。
節子の思い出が寄り添ってくるのを待っていた彼が、
リルケのレクイエムを口ずさむ。
「帰っていらっしゃるな。そうしてもしお前に我慢できたら、
死者達の間に死んでお出。死者にもたんと仕事はある。
けれども私に助力はしておくれ、お前の気を散らさない程度で、
屢々遠くのものが私に助力をしてくれるようにーー私の裡で。」
きっと彼が彼女の亡霊を手放し死を受け止め、此岸と彼岸にラインを引いた瞬間だ。
"風立ちぬ、いざ生きめやも"。
- 感想投稿日 : 2023年11月1日
- 読了日 : 2023年11月1日
- 本棚登録日 : 2023年11月1日
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