争うは本意ならねど ドーピング冤罪を晴らした我那覇和樹と彼を支えた人々の美らゴール
- 集英社インターナショナル (2011年12月15日発売)
沖縄から初めて生まれた、日本代表サッカー選手、我那覇和樹。2007年4月21日、Jリーグ川崎フロンターレの我那覇和樹選手は、風邪による脱水症状により、医師から点滴(生理的食塩水と少量のビタミン剤)を受ける。これがマスコミにより「にんにく注射」と誤報され、我那覇選手と後藤医師はドーピングという汚名を着せられてしまう。我那覇選手は6試合出場停止処分、レギュラー争いから脱落する。このまったく無実の我那覇選手と後藤医師を救うために、Jリーグのチームドクターたちは一丸となって、Jリーグ幹部に闘いを挑む。
中盤までは、川淵・青木・鬼武体制の傲慢な独裁ぶりが延々と続き、医学用語も羅列されているため、私には読み進むのが難しかった。ページをめくるたびに、苛立ってしまうのだ。
しかし、我那覇選手自身が浦和レッズの仁賀チームドクターからの手紙を読んで闘うことを決意してからは、加速して読めた。我那覇選手は自分だけじゃなく、Jリーグのすべての選手のために闘いに挑んだ。争いのためには、3500万円という莫大な費用がかかる。その費用は、Jリーグ選手たち、チームドクターたち、そして沖縄の仲間が奔走して集めた。上京して声を枯らして「ちんすこう募金」をする場面では、私も涙が止まらなくなった。
2008年5月、国際スポーツ仲裁裁判所で、無罪を獲得。我那覇選手と後藤医師は汚名を晴らした。
我那覇選手は最後の最後まで、「争うのは本意ではない」と語っていたという。真摯にサッカーに打ち込んできた、誠実で愛情深い人格の選手なのだ。現在は故郷沖縄で、JFC琉球に入団、ピッチを走り回っている。
我那覇選手と彼を支えてともに闘った人々の、胸が震えるノンフィクション。
あなたにもぜひ読んでほしい。そして語り合いたい。
- 感想投稿日 : 2012年3月20日
- 読了日 : 2012年3月20日
- 本棚登録日 : 2012年3月20日
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