里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く (角川新書)

  • KADOKAWA (2013年7月11日発売)
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今更感がありますが、ふっと古本屋さんで目に入ったので手に取って読んでみた。興味深いところもあったが、最終章で現代的な資本主義をボロクソに言い、里山資本主義が救うと言うあたりのロジックが少々乱暴に聞こえる。

自分の理解としては、現状のマネーを基準とした経済とは別の経済網、とくに過疎化した自然が豊かな場所において地元の資源をお金ではない収入(食料や燃料)として入手することによってセーフティネットにするというもの。またその副次的な資産として、自然から”収入を得る”ために他者との協力が不可欠で、つながりも強化されるという事。

イノベーティブという単語がいくつか出てきた気がするが、近代から現代に移行するにあたって切り捨てられてきた非効率的な自然資産を今の技術を使って、より効率的に使用しようといったところか。

オーストリアが国をあげて原発を排除し、豊富な森林からエネルギーを得ることを真剣に追求している姿は非常に興味深い。また高知県の収支をベースに、農漁業は黒字にも関わらず、県外から購入する飲食料品が圧倒的に赤字であり、そのギャップを埋めようとするという方法は色々な街でも参考になるのではないか。

P.129 地元農家はこれまで、マネー資本主義の中では市場価値のない半端な農産物を捨て、地元福祉施設はこれまで、地域外の大産地から運ばれてきた食材を買って加工していた。全国レベルで見れば効率のいいシステムかもしれないが、地域レベルで見れば外へお金が出て行くだけの話だ。ところが捨てていた食材を地元で消費するようになれば、福祉施設が払う食費は安くなり、しかも払った代金は地元農家の収入となって地域に残る。農家の収入が増えるだけでなく、関係者にやる気も出るし、無駄も減る。地域内の人のつながりも強くなる。

P.134 歌舞伎や文楽、浮世絵といった日本独特の文化が花開いていた江戸時代、オーストリアではワルツや交響楽、オペラといった欧州文化の枠が花開いていた。カフェでコーヒーを飲む習慣も、フランス料理の原形となった料理文化もこの時期のオーストリア発祥だったし、二〇世紀初頭にはクリムトに代表される画壇が華やかだった。時は流れ、日本発のカジュアル文化、たとえばマンガやアニメ、カワイイ洋服、映画に絵画、それに日本食は、引き続き世界に評価され発信されている。
しかしオーストリア発の現代文化と言われると、女性に人気のスワロフスキーのクリスタルガラス製品以外、ちょっと具体名は思いつかない。チロリアンやチロルチョコは福岡県の産品だし、戦後の一時間日本でも絶大な人気を誇ったトニー・ザイラー以降、有名人も出ていない気がするというと失礼だろうか。
だが、そのように歴史的に見れば停滞・後退を重ねてきたオーストリアは、にもかかわらず、質的にも金銭的にもとても豊かな生活の営まれる、美しい民主主義の国だ。

P.142 お金を払って製剤屑を引き取ってもらい、他方で電力を買っていた今までのやり方を、自分で木くずを燃やす事で発電するのに切り替えたということは、結局自社内で木くずを電力に物々交換したわけだ。その結果、億単位の取引が消滅してしまった。その分、貨幣で計算されるGDPmo減ってしまったことになる。だが真庭市の経済がこれで縮小したわけではない。市外に出て行ったお金が内部に留まるようになっただけだ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2019年5月12日
読了日 : 2019年5月10日
本棚登録日 : 2019年5月10日

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