記者たちは海に向かった 津波と放射能と福島民友新聞 (ノンフィクション単行本)
- KADOKAWA/角川書店 (2014年3月7日発売)
「紙齢をつなぐ」という言葉を初めて聞きました。
記者魂とか聞きますが、新聞記者という人たちはこんなにも新聞に命がけで向き合っているものかと大変驚きました。
記事を創る人、紙面を創る人、印刷する人、配達する人まで一丸となって「情報を届けなくてはならない」という執念にはすさまじいものを感じます。そして日本人ならではという気もします。
そしてこの中には東電の幹部も登場しますが、同じ地域に暮らしていたもの同士と言うことを考えるとここに芽生えてしまった大きな埋めようもない溝はなんて容赦ないのだろうとつくづく感じさせられます。
ある人が喪われた記者にしてあげる、ある行為のシーンを読んだ時、涙が止まりませんでした。きっとあの地震で亡くなられた一人ひとりに大切な人生の物語があっただろうにと思うと言葉に出来ない思いで胸がふさがります。
自分を責めることはない、と多くの人の言うように私もこの自分を責めている記者さんには言ってあげたい。
でもこの記者さんがどうしても自分を責めてしまう気持ちも止めたくても止められないものなのでしょう。ただ、自分と家族を大切に生きて欲しいです。そしてこういう人が記者という仕事をしているということを覚えておきたいと思います。
消防士や警察官など人を守る仕事をしている人には自己犠牲がつき物のようにドラマなどでも表現されますが、
現職の方から聞きましたが、そういうスペシャリストこそ自分の命を最優先に考えなければより多くの人は救えないものだと叩き込まれるそうです。それはやはり技術や手段があるからです。
自己犠牲は尊い。誰でも出来ることではありません。でも自分の命を投げ出しても救いたいという自分のことも、誰かが命を投げ出してでも救いたいと思ってくれているかもしれません。命の比較はできないってそういうことだと思います。気持ちとしてはあっても誰かを救うために死んでもいい命などあるわけがありません。
こんなやりきれないことが起きてしまうのは人間の力及ばない領域としか言えないようにも思います。
巻頭に写真が数枚ありますが、読後見直すと一段と胸に迫るものがあります。よくぞ撮ったな、と思います。
福島民報と福島民友を目にする機会がありますが、これからは一段と真摯な気持ちで紙面に目を通したいと思います。
- 感想投稿日 : 2014年6月13日
- 読了日 : 2014年6月12日
- 本棚登録日 : 2014年6月13日
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