武器としての「資本論」

著者 :
  • 東洋経済新報社 (2020年4月10日発売)
4.14
  • (85)
  • (97)
  • (39)
  • (6)
  • (1)
本棚登録 : 1163
感想 : 95

《『資本論』のすごいところは、一方では国際経済、グローバルな資本主義の発展傾向というような最大限にスケールの大きい話に関わっていながら、他方で、きわめて身近な、自分の上司がなぜイヤな態度をとるのか、というような非常にミクロなことに関わっているところです。そして、実はそれらがすべてつながっているのだということも見せてくれます。言い換えれば、『資本論』は、社会を内的に一貫したメカニズムを持った一つの機構として提示してくれるのです。》(p.3)

《商品は、交換から、しかも共同体の外での交換からのみ生まれるのだということ、これはマルクスの決定的な発見だったと言えます。》(p.55)

《共同体の外で生まれた商品は、次は中に持ち込まれるという。つまり共同体の内部でも商品が流通するようになる、とマルクスは言っています。(…)元々は共同体の外のものだった商品交換の原理が、共同体を呑み込んでいくことになるということです。》(p.58)

《デヴィッド・ハーヴェイという、英米で活躍しているマルクス主義者の社会学者がいます。(…)彼は新自由主義について「これは資本家階級の側からの階級闘争なのだ」「持たざる者から持つ者への逆の再分配なのだ」と述べています。》(p.69)

《「生産力が上昇した」「生産性が向上した」とは、「その生産に従事する労働の価値が低下した」ことを意味しているのです。》(p.168)

《では労働力のダンピングには、どこに差異があるのでしょうか。(…)もちろん耐えたくて耐えているのではなく、仕方がないから耐えているわけですが、それはつまりその場にいながら、その場にいないものとして扱っているということ、言ってみれば、差異のある空間をその場に作ってしまうということでしょう。》(p.210-211)

《世の中では、「自分の労働者としての価値を高めたいのなら、スキルアップが必要です」ということになっています。しかし私が主張しているのは、「それは全然違う」ということです。そういう問題ではない。マルクスに立ち戻って言えば、スキルアップによって高まるのは労働力の使用価値の次元です。
人間という存在にそもそもどれくらいの価値を認めているのか。そこが労働力の価値の最初のラインなのです。そのとき、「私はスキルがないから、価値が低いです」と自分から言ってしまったら、もうおしまいです。それはネオリベラリズムの価値観に浸され、魂までもが資本に包摂された状態です。そうではなく、「自分にはうまいものを食う権利があるんだ」と言わなければいけない。》(p.278-279)

《意思よりももっと基礎的な感性に遡る必要がある。どうしたらもう一度、人間の尊厳を取り戻すための闘争ができる主体を再建できるのか。そのためには、ベーシックな感性の部分からもう一度始めなければならない。》(p.280)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2020年6月14日
読了日 : 2020年6月14日
本棚登録日 : 2020年6月13日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする