「日本人」の境界―沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮 植民地支配から復帰運動まで

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  • 新曜社 (1998年7月1日発売)
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〇琉球処分
 琉球の処遇について、明治政府の方針は一枚岩ではなかった。
 一方では、江戸時代以来の支配方式の維持が唱えられた。その根拠として、直接支配(日本の領土に編入)方式ととった場合のコストの大きさや琉球の人々と「日本人」との間に大きな差異があるとの主張がなされた。あくまで「琉球人」による政府を存続させて、イギリスによるインド統治のように間接統治をとり、外交権などを日本が掌握して内政は現地人に任せるべきで、琉球を日本とはしない。
 もう一方の琉球論として、日本の領土に編入し、中央政府による直接支配を行う方針が打ち出された。琉球はアジアにおける交通・軍事の要衝であり、欧米諸国によって植民地化されれば、日本の安全保障にとって脅威となる。琉球防衛のためには、日本政府が直接統治する必要がある。
 結果的に、後者のルートが選ばれたことは言わずもがな。

〇沖縄での「日本人」化教育
 琉球人を国家に忠実な日本人にするため、「日本人」化教育が言語・文化などの面で推し進められた。これは、土地制度などについては旧慣を温存して琉球を利益基盤としていた士族層の離反を避けるなど、制度上の改革は後回しにする形で行われた。
 旧慣温存と「日本人」化教育の併存については、統治上のプラグマティズムの面から唱えられることもあったが、山県有朋などは国防上の目的からその併存を主張した。
 琉球での「日本人」化政策を進めるため、琉球の歴史は改変され、源為朝伝説などを用いて琉球人と日本人の民族的同一性が広く唱えられ、同時に進められる文明化政策の影響も受けて、徐々に琉球人=沖縄県民にも「日本人」としての意識が浸透していった。
 琉球での「日本人」化教育の成功は、のちの台湾や朝鮮における植民地統治の原型となった。

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感想投稿日 : 2023年2月3日
本棚登録日 : 2023年2月3日

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