戦艦大和ノ最期 (講談社文芸文庫)

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  • 講談社 (1994年8月3日発売)
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筆者の吉田満は、学徒動員の一環として応召され、副電測士(電測士というのは、レーダー要員と理解した)として、沖縄特攻作戦に参加する戦艦大和に乗り込む。1945年春、終戦まであと4ヶ月の時である。
既に米軍は、沖縄を勢力圏に置いており、そこを本拠地とした本土攻撃を遅らせるために、日本軍は本土防衛作戦の一環として「天号作戦」を立案する。「天号作戦」には、一号から四号まであり、戦艦大和が参加したのは、「天一号作戦」である。700機の特攻機が沖縄の米軍を攻撃するのを支援するために大和は、計10隻の艦隊の中心艦として参加するが、帰還は想定されておらず、行きの燃料のみを積んで、広島県の呉港を出港した。
本文中にある、本作戦の目的についての記述を引用する。
【引用】
本作戦ノ大綱次ノ如シー先ズ全艦突進、身ヲモッテ米海空勢力ヲ吸収シ特攻奏功ノ途ヲ開ク 更ニ命脈アラバ、タダ挺身、敵ノ真只中ニノシ上げ、全員火トナリ風トナリ、全弾打尽スベシ モシナオ余力アラバ モトヨリ一躍シテ陸兵トナリ、干戎ヲ交エン 
【引用終わり】
勝ち目のない、成算のない作戦であることは乗組員は分かっている。「圧倒的数量ノ前ニ、ヨク優位ヲ保チ得ル道理ナシ タダ最精鋭ノ錬度ト、必殺ノ闘魂トニ依リ頼ムノミ」と筆者も書いている。
大和は沖縄近海までやって来るが、そこで100機を超える、米軍の航空機部隊から攻撃を受ける。攻撃は一度で終わらずに、七波、八波と続く。その間、大和は相手にほとんどダメージを与えられないまま、一方的な攻撃を受け続け、沈没してしまう。筆者は、奇跡的に助かり、他の艦船に救助され、佐世保港に戻る。
本書は、大和の出陣から、筆者が救助され佐世保に戻るまでの記録である。

戦闘場面、大和の最後、筆者が九死に一生を得る場面等、実際に起こったことの記述の迫力にまずは驚かされる。本書は文語体、かな部分は、ひらがなではなくカタカナで書かれており、決して読みやすい本ではないが、ほとんど一気に読んだ。
しかし、心が痛んだのは、戦争の悲惨さ、理不尽さだ。それも、「戦争が一般的に悲惨で理不尽である」ということではなく(もちろん、それはそれで真実だと思うが)、日本軍というか、日本国(大日本帝国)の、この戦争に対しての理不尽さである。
この「天一号作戦」に参加した艦船10隻のうち、帰還したのは4隻のみ。特攻攻撃に参加した700機の航空機のうち、350機は撃墜され、かつ、米軍には、ほとんどダメージを与えることが出来なかった。ほとんど意味のない作戦を実行したのである。
しかも、行きの燃料しか持たずに大和が出航したことが示すように、「こうなることは、あらかじめ分かっていた」うえでの作戦であったのだ。
沖縄が米軍の勢力圏に入った後の戦争の展開も既に分かっていたはずである。実際に、その通りに戦争は進んだ。日本は本土を空襲され、広島と長崎に原子爆弾を投下される。終戦間際には満州にソ連軍が攻撃を開始し、そこにおられた方は大変な想いをされ、多くの兵士がシベリアに抑留され、また、兵士でなくても、例えば、多くの「中国残留孤児」を生んだ。しかし、この作戦が失敗してからも、降伏するまでに数か月、何の成算も、何の意味もない戦争を続け、兵士ばかりではなく、一般の人たちに多くの犠牲者を出し、悲惨な想いをさせたのである。それは、本当に理不尽なことだと思う。

本作は以下の通りの終わり方をしている。万感が込められた終わり方だ。

徳之島ノ北西二百浬ノ洋上、「大和」撃沈シテ巨体四裂ス 水深四百三十米
今ナオ埋没スル三千ノ骸
彼ラ終焉ノ胸中果シテ如何

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2023年8月12日
読了日 : 2023年8月12日
本棚登録日 : 2023年8月11日

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