歌に私は泣くだらう (新潮文庫)

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  • 新潮社 (2014年12月22日発売)
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本書の副題は、「妻・河野裕子 闘病の十年」である。筆者の永田和宏と妻・河野裕子は、いずれも有名な歌人である。河野裕子の場合には、歌人で「あった」というのが正しい。河野裕子は、2000年に乳がんが見つかり手術。それが2008年に再発、そして2010年に亡くなられている。副題にある「闘病の十年」は、乳がんの発見から河野裕子が亡くなるまでの10年間のことである。本書は、「波」という雑誌に、永田和宏が2011年6月号から2012年5月号にかけての1年間連載したものを書籍化したものだ。河野裕子が亡くなったのは2010年の8月のことなので、妻が亡くなってから、おおよそ1年後から、更に1年間をかけて書かれたものである。
永田和宏と河野裕子は、愛情の通い合っていた夫婦であったが、それでも、この闘病記は、愛情と悲しみだけで構成されている訳ではない。もっと生々しい。乳がんの手術後、河野裕子は、過剰な睡眠導入剤の服用により、時々、精神の平衡を崩すようになる。実際には、平衡を崩すというような生やさしいものではなく、毎日毎日、夫の永田和宏を罵倒し続ける。それは、永田和宏にとって、ほとんど恐怖の日々であったことが、本書に書かれている。しかし、幸いなことに、良い精神科の医師に診てもらうことが出来、また、再発を告げられてからの河野裕子は、逆に精神の平衡を取り戻す。そのような凄絶な日々でもあったことが、記されている。

2008年に再発し、その後、抗がん剤治療を続けるが、病状は良くならない。ある時点で(というか、実際には再発を医師に告げられた時点で)、2人ともに、残された日はさほど多くないことについての覚悟を持つ。そのような、「最後の日々」の中でも河野裕子は短歌の創作を続ける。

書名にも引用されている永田和宏の短歌は、そのような日々の中で生まれたものだ。

歌は遺り(のこり)歌に私は泣くだらういつか来る日のいつかを怖る

妻の河野裕子は、日に日に重くなっていく病状の中で必死に短歌を作り続ける。やがて妻が亡くなっても、それらの歌は残る。そして、自分(永田和宏)は、妻が亡くなった後、その歌を詠んで泣いてしまうだろう。それは、いつか来る日であるが、その日が来るのが怖い。強烈なインパクトのある短歌だ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2022年5月24日
読了日 : 2022年5月24日
本棚登録日 : 2022年5月23日

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