北岳山小屋物語

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  • 山と渓谷社 (2020年1月17日発売)
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感想 : 19

僕のはじめてのアルバイトは、キャンプ場の番人。県民の森キャンプ場にひと夏、4人の大学生が山小屋に泊り込み、子供会や家族や会社のキャンプの世話をした。たいした仕事はなかった。子供たちと沢登したり、カレーを作ったり、スイカ割りをしたり。夜はキャンプファイヤーを準備し『キャンプだホイ』を歌い、踊った。

がんちゃんと呼ばれる長崎大学の教育学部生は、子供たちから人気あった。いつも、小さな子供たち数名が彼のがっしりした腕にまとわりついていて、歓声をあげていた。高知大のバン君はやたらと日本酒に強く、毎晩異なる酒を持ってきてはうんちくを言いながら酔って、昼頃まで寝ていた。天然パーマ君は、たぶんどこかの大学の工学部だったと思うが、ハンマーと鋸を持って、キャンプ場で何かを作っては壊していた。

僕は、悶々としていた。本を読んだり、書き物をしたり、バイクに乗ったり、落ち着かなかった。受験が終わり、大学に入り高校時代みたいに部活に一生懸命なることもなく、もどかしい恋もあいまいに消えてゆき、大学の授業にも興味も湧かず…、山の綺麗な空気と透き通る水の中で、ひとり濁ってドツボっていた。

僕が過ごしたのは、長崎の数百メートルの山だが、『北岳山小屋物語』は、標高3193メートルの南アルプス北岳周辺にある5つの山小屋の物語だ。物語といっても小説ではない。著者が山小屋の番人たちにインタビューして書き起こすノンフィクションである。面白い。

バイトのひ弱な若者がひと夏で力強く育ってゆく白根御池小屋、親子二代で引き継がれている広河原山荘、診療所の医者達との交流のある北岳山荘、ボランティアの人たちで建てられえた北岳肩の小屋、ユニークな女番人と二匹の猫がいる両俣小屋。

山小屋を開くためにアルバイトを集める苦労、春に雪をかき分けながら山に登り小屋を開ける準備の大変さ、夏のお客とのトラブル、遭難と救助、ボイラーの故障…、次々と山小屋に難題が迫ってくるが、すぐに助けが来るわけでもなく、自分達だけで解決しなければならない。 平穏な日々は衣食住が繰り返されるだけだが、3000メートルの上での着る、食べる、寝ること自体が命がけである。

インタビューのテンポが非常にいい。読んでいると実際に山を歩いて、山小屋で番人たちに会い、出された絶品のカレーを食べ、北岳を眺めながらビールを飲みたいとも思わせる。筆者の樋口明雄さんが、自身も山に精通し山岳小説の書き手であるから成立した企画本だと思う。山に登る、イコール、人に会いに行く…という、コンセプトのいい本だ。

もし、大学生の僕がこの山小屋でアルバイトをしていたら、人生は間違いなく大きく変わっていただろう。そんな思いにさせてくれる一冊だった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2023年3月9日
読了日 : 2021年11月28日
本棚登録日 : 2023年3月9日

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