子どものうそ、大人の皮肉――ことばのオモテとウラがわかるには (そうだったんだ!日本語)

著者 :
  • 岩波書店 (2013年6月26日発売)
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感想 : 21

2013.8.26市立図書館
前半の母子の会話例や心理実験をとおしてこどものコミュニケーション能力がどのように身についていくかが興味深かった。9歳ぐらいまでは皮肉が通じない、とわかっていれば、こどもへのものの言い方にもっと工夫ができたかも、と反省すること多し。
次に発達障害のある人の手記や記録から、私たちがつい当然と思っている婉曲・比喩表現も子どもや語用障害者にとっては理解困難であることがわかり、後半は発話のオモテとウラを理解するためにどういう能力が求められるか、聞き手と話し手にはそれぞれどういう傾向・癖があるかを探り、誤解の少ないコミュニケーションをするためのヒントをまとめる。

思えば、幼児と話すときには母親ならずとも言葉も話し方もある程度はコントロールするものだし、日本語初級の外国人に対しても、たいていのひとは語彙や文法をコントロールして話そうという配慮がある(日本語教師と違って一般人だと見当違いのコントロールであることも少なくはなく、それはまた問題であるけど)。
ところが相手が小学生になって一見いちにんまえに話せるようになると、もうそういう「相手への配慮」を忘れてしまう。実際は年齢や生活・文化による経験の差、思考の癖、文脈のギャップなどがあるのに、自分と同じように話が通じると思い込んでしまう。そういった相手の聞く力への過信や油断から思わぬすれ違いや失敗が生まれがちなのであり、自分の気持を誤りなく伝えたいと思うなら、自分の話す内容を意識的にコントロールしたり、コミュニケーション技術を磨いたりする余地があるのだということになる。
聞き手としての力は、それなりの発達段階を経て自然に伸び、それほどの個人差はない一方で、話し手としての力には得手不得手の個人差が大きく、別の面から見れば学習・訓練がものをいう領域ともいえる、というまとめからは「伝わらないのを相手のせいにせずに自分の発信力を磨こう」というメッセージを感じた。

後半はともかく、前半の具体的な事例を読むだけでも、子育て中の親やこどもや発達障害に関わる仕事に携わる人には得るものが多いはず。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 言葉・専門書・テキスト
感想投稿日 : 2013年8月26日
読了日 : 2013年9月8日
本棚登録日 : 2013年8月26日

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