治療文化論: 精神医学的再構築の試み (岩波現代文庫 学術 52)

著者 :
  • 岩波書店 (2001年5月16日発売)
3.73
  • (16)
  • (12)
  • (18)
  • (3)
  • (2)
本棚登録 : 344
感想 : 23
3

本書は、精神医学の分野において、何を病と位置づけるのか、そして治療するという行為や病が治るとはどういうことなのかといった精神医学のディシプリンの土台を問い直し、より広い視野から人の心と社会の関係性のあるべき姿を再構築しようとした試みである。

精神医学に関する原論であると同時に、医療とは何か、医者と患者の関係性と何かといったことにも広がる論点を含んでいると感じた。


この本の中で筆者は、精神病を普遍症候群、文化依存症候群、そして筆者が新たに提唱する個人症候群の3つの視点から捉える。普遍症候群とは西欧精神医学において観察・記録され、標準化されたさまざまな精神病である。そして文化依存症候群とは、主に非西洋のある特定の文化にしか存在しない、その文化に深く結びついた精神病を指している。

この類型化についても、「西欧-非西欧」という「中心-周縁」概念に捉われた見方ではないかという問題は指摘できるし、「普遍-文化依存」という視点ではなく「都市型-田舎型」といった視点で捉える方が良いという考え方もある(実際筆者もそれらの議論を紹介している)。

しかし、筆者はこのような二元論の中で議論するのではなく、ここから新たに、「個人症候群」という考え方を展開する。筆者の考えるこの個人症候群とは、精神病のプロセスをパースナルな病の経過として捉えるという見方である。


個人症候群という視点を導入するにあたり、筆者はエランベルジュ(エレンベルガー)のいう「創造の病」を足掛かりにしている。これは、抑うつや心気症状から「病い」を通過して、何か新しいものを摑んだと感じ、それを世に告知したいという心の動きへと至る、一連の過程である。

そのような事例として、科学や芸術の分野における天才の創造の過程、天理教の創始者となった中山ミキの物語、そして(恐らく筆者自身であろうが)困難な課題に圧倒された状態から超覚醒の状態を経て軽い抑うつ気分へと至り回復する知己のことなどを挙げて説明をしている。

個人症候群と筆者が呼んでいるものに見られるこれらの症状には、普遍症候群や文化依存症候群の症状と共通するものもある。それは、個人症候群という概念が、この精神的な「病い」を「パースナルな病い」という角度から眺めたときに、異なった捉え方ができるようになるのではないかという、「見方の違い」を表したものだからである。

そして、このような見方を取ることは、精神病の治療に対しても、新しい可能性を開くことになる。

筆者は個人症候群は直接(自らが)熟知しているか、(患者を)熟知している治療者によって認知され、治療される、と述べている。しかし一方で、現代の精神医学においては、熟知者を治療することは禁忌とされている。それは、客観性や患者との距離を保つことが必要とされているからである。しかし、個人症候群の治療はそうではない世界において成り立っているという。

そのような個人症候群の治療の例として(これも筆者を含む集団なのであろうが)、敗戦直後の青年期から中年後期に至るまで続いた10人前後の男性の集団が「治療集団」としてその構成メンバーの精神的な危機をどのように救っていったかという事例を紹介している。また、近代以前の社会や先に上げた中山ミキの事例においても、個別性はありながらも家族や友人など熟知者が大きな役割を果たしている。

このような「患者」と「治療者」の関係性は、これまでの精神医学では捉えてこなかった領域であり、いわゆる「医学的な」処置以外にも、人間の心の問題を考える上で重要になってくる要素があるということを、教えてくれる。


精神病とその治療に対する視点を(広義の)患者と(広義の)治療者をはじめとする関与者に拡げ、さらにそれらを包含する世界をひとつの文化と捉えることで、筆者はこの本のタイトルでもある「治療文化論」という概念を提唱する。

この「文化」というのは、何を病気と捉え、誰を病人とし、何を以って治療、治癒とするかという体系であり、さらに「患者」と「治療者」だけではなくその周りの社会がそれらをどう位置付けるかという点にまで及ぶ、包括的なものである。

そしてこのような関係性の持つ多様性に応じて、「一人治療文化」、「家庭治療文化」、「小コミュニティ治療文化」、「シャーマニズム」、「アルコーリック・アノニマス(匿名アルコール症者の会)」、「修道院」、「メスリズム・催眠術」など、”正統”精神医学以外のさまざまな治療文化のあり方(本書ではこれらを「力動精神医学」と呼んでいる)を位置づけることができる。


多様な治療文化の存在ということを考えると、精神医学は何か1つの方向に収斂していくべきなのかという問いが必然的に生まれてくる。筆者は、体系化された”正統“精神医学は必要ではあるが十分ではなく、力動精神医学という多様性を持った「こころ」のモデルの存在も、精神医学における治療のコスモロジーの中で、当然に位置を与えられるべきであるという結論を述べている。

そしてまた、治療文化という概念を用いることで、社会の変化、新たな治療文化との遭遇(異文化との接触や科学の変化などによる)において、どのような文化変容が起こり、病いや治療のあり方がどのように影響を受けるかといったことを考えることができるようになる。


本書は、治療文化という概念を打ち出すことで、精神医学のこれからの方向性を考える視点を確立した本であると思う。そして、このような視点は、精神医学が症例の分類に偏り、また「治療者-患者」の関係性が固定化した医学へと一元化されることを抑制し、こころの問題により多くの人たち、そして社会の関与を促していく、大切なものであると感じた。

精神医学の領域から、このような社会性のあるメッセージを発信した著者の貢献は、非常に大きなものがあると思う。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2023年5月29日
読了日 : 2023年5月24日
本棚登録日 : 2023年5月16日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする