ローマ人の物語 (13) ユリウス・カエサル ルビコン以後(下) (新潮文庫)

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  • 新潮社 (2004年9月29日発売)
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ポンペイウスを破り、ローマの終身独裁官として事実上の「帝政」を確立したカエサルが、紀元前44年3月15日に殺される。

権力者の暗殺は、その地位を簒奪し自らが新たな権力者になるために行われることが歴史の常ではないかと思うが、カエサル暗殺者たちの目的はそうではなく、共和制への復帰だった。

誰か特定の人物が権力を握るという明確かつ具体的な構想があるわけではなく、「元老院を中心としたかつての政体に戻る」ということが目的の行動だった。

しかし、歴史が元に戻ることは決してないし、「元に戻る」というのは、具体的な構想があるようで、実際にはそうではない。そのため、ブルータス、カシウス他のカエサル暗殺の実行グループは、暗殺当日から迷走を始め、ローマ市民の支持を失う。

少なくともローマの現状は、カエサルがはるか以前に見抜いていたように、共和制によって統治できる時期をすでに通り過ぎていた。

未来へ向かった構想を持たなかった元老院の集団に代わって権力闘争の前面に立ったのは、ポンペイウス亡きあとのローマ軍の最大の司令官として地方を転戦していたアントニウスと、カエサルから後継指名を受けたオクタヴィアヌスの二人だった。

当時18歳で無名のオクタヴィアヌスを後継に指名したカエサルの慧眼には驚くばかりだが、その後のオクタヴィアヌスの行動も、とても18歳の青年とは思えないような、強い意志としたたかな戦略と粘り強い意志の組み合わさったものだった。

オクタヴィアヌスがアントニウスとクレオパトラの連合軍をアクティウムの海戦で破り、最終的に唯一の権力の座に座るまでには、カエサルの死から14年を要するが、その期間、決して無謀な策をとらず、しかし確実に力を蓄積していく。

カエサルの後継者であるということを最大限に活用し、ローマ兵やローマ市民の多くを味方につけ、元老院でも自らの支持者を固めていく。

一方でアントニウスに対しては、いきなり対決をするのではなく、まず第二次三頭政治という形で共同歩調をとりながら、元老院派の粛清をアントニウスの力も借りて進めていく。

最終的にオクタヴィアヌスがアントニウスに勝った理由は、オクタヴィアヌスが持続的な意思とカエサルから引き継いだローマの政体に対する明確なビジョンを持ち続けたことが大きな理由であり、さらにはアントニウスがそのような確固たるビジョンに支えられた意志を持ち続けるよりも、東ローマ世界の皇帝として生きることに満足したことがもう一つの理由であろう。

結果として、パルティア遠征に失敗し、アレクサンドリアに引きこもったアントニウスが、その力を徐々に落としていったのに対して、オクタヴィアヌスは、西ローマ世界を基盤に着実に力をつけていき、当初は圧倒的な力を持っていたアントニウスを破る。

この後継闘争の期間中、カエサルの構想した新しいローマ帝国の姿の実現が停滞したことは事実である。一方で、この闘争の結果、オクタヴィアヌスが名実ともに権力基盤を固めるとともに、元老院派の退潮が誰の目にも疑うことができないものになった期間ということも確かである。

結果としてオクタヴィアヌスによるローマ帝国の建設は、着実に進んでいくことになった。

カエサルが生きていたとしても、彼の生存中に新しいローマ帝国の建設は終わらなかったであろう。そのことを考えると、オクタヴィアヌスが権力を握るまでのプロセス自体も、意味があったということもできるように思う。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2019年3月31日
読了日 : 2019年3月1日
本棚登録日 : 2019年2月22日

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