性的唯幻論序説 (文春新書 49)

著者 :
  • 文藝春秋 (1999年7月19日発売)
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人間は性本能が壊れていて、幻想で性交できるようになっている、
人間にとっては性交は趣味である、

という説は、当初はそんなバカなと思うのだが、読み進めていくに従い、そのとおりかもと思ってしまった。
この前提を受け入れた上でないと、全部を読むのは苦痛に感じる人もいるかもしれない。

人間以外の動物の性交と較べれば、明らかに人間の性交が特殊だし、セックスや性的なことに関する価値観が宗教や思想、文化によって形成されてきたり、時には為政者の都合よく使われてきたこともあるだろう。

最近言われる「草食男子」も、今となっては性に関する不要な呪縛から、男性が解放された喜ぶべき結果だとも。
男性だけでなく、私の周りでも、したいと思わないといって拒む女性もかなりいる。
もちろん、肉食男子も肉食女子もいる。

妊娠目的以外に、セックスができるのが人間に与えられた能力だとしたら、
セックスに条件付けされたり、植えつけられている観念を取り払った状態で
自分はどうしたいのか?
を純粋に眺めることができる。
(それゆえに悩み苦しみもつきまとうのだろうが)


氏も書いておられるが、性能力と性欲とは直接的にはリンクされていない。
結局、男女間でのセックスにまつわる問題といえば、性能力と、性欲の程度が、不一致だったときにおきるのであろう。

したいし、できる
したいけど、できない、
したくないけど、できる
したくないし、できない

この相性を筆者の言葉でいえば「趣味」の問題なのかもしれない。
性に限らず趣味嗜好の不一致は、不和の原因になりやすい。
いずれのケースかによって、それを問題だと捉える場合、対処方法も変わってくる。


さて、性の本能が壊れているのが人間だという前提だが、なぜ動物の中で
人間だけが壊れているのか?
最初から壊れているのか?あるいはどこかの時点で壊れてしまったのか?


この著書は有史以後の(宗教学、文化人類学、民俗学レベルで追跡可能な過去)
における性の有り様に基づいた説なので、
「はじめ人間ギャートルズ時代」の人間の性本能はどうだったのだろう?と疑問がわく。

そもそも動物のように発情期がない、という時点で、「壊れて」いるので、人間という生き物ができたときからかもしれない。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 心理学
感想投稿日 : 2011年8月16日
読了日 : 2011年8月16日
本棚登録日 : 2011年8月16日

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