「1333年、鎌倉幕府滅ぶ」は小学校の教室の歴史年表にも書いてある周知のことだけど、たしかに冷静に考えると六波羅探題といい鎌倉といい、実にあっけなく滅んでいる。
確かに正規軍を率いた足利高氏が六波羅探題を急襲したら、もしかしたら負けちゃうかもってのはわかる。でも鎌倉が、上州からぐおーっとやってきた新田義貞がものの十数日であっけなく陥落させてしまうのは、あれっと思う部分がある。
本書の答えとしては、滅んだのは鎌倉幕府中枢で「貴族化」した特権階級であり、ある日「コイツラいなくて良いんじゃね?」と思ってしまった空気を読まない天皇(後醍醐)によって日本全国が「それ」に気づいてしまったことによる、としている(※個人の感想です)。
よく、鎌倉時代後半は幕府が公権力化、全国化していくとあるが、実は失敗していた、と本書は言っている。そのチャンスはあったのだが潰されてしまった(それが霜月騒動)結果、万事「今まで通り」を頑なに守る者だけが残ってしまったと。
誰もが「これではいけない」と薄々思っていたのかもしれない。暗愚と言われる北条高時が、なぜか長崎高資を排除しようとしてかえって負けてしまう事件がある。この時期すでに北条得宗も将軍と同じように制度の中の単なる機能となってしまっており、彼もまた「これではいけない」と憂いていたのかもしれないと思うと、感慨深いものがある。
建武の新政はそうした制度疲労をグレートリセットすることとなった(そしてそれは南北朝の内乱まで暫く続く)と感じた。もしかすると日本にはこうしたグレートリセットが定期的に必要なのかもしれないと思うと、少々胃が痛くなるが…。
- 感想投稿日 : 2019年12月14日
- 読了日 : 2019年12月14日
- 本棚登録日 : 2019年12月14日
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