愛するということ 新訳版

  • 紀伊國屋書店 (1991年3月25日発売)
4.12
  • (527)
  • (413)
  • (265)
  • (35)
  • (12)
本棚登録 : 5837
感想 : 504
5

「愛は人を好きだったら、運がよければ愛に出会えるものではなく、自分から生産するもの」、「誰かを愛して、誰かを愛せないなら、誰をも愛してない」

現代社会、資本主義の構造が、愛ということを含む人々の精神状態の傾向を作っている解説は納得でした。
愛の修練の箇所では、自分に集中することなど、ヴィパッサナーと同じことが書かれていたのには驚きました。やはりそれが愛を生む前提の土台なのか‥2500年前に既に人が知っていたこと‥
改めて感動したと同時に、周りを見わたしても成熟した愛を生む喜びを感じられる幸福な人は少ないことに気づき、今の現実に気づかされました。

・たいていの人は愛を「愛する」ではなく「愛される」という問題として捉えている。
・能動的な感情を行使するときには、人は自由であり、自分の感情の主人であるが、受動的な感情を行使するときには、人は駆り立てられ、自分では気づいていない動機の僕である。
・愛は行動であり、自由でなければ実践できず、強制の結果としてはけっして実践されえない。
・愛は何よりも与えることであり、もらうことではない。
・貧困は人を卑屈にするが、それは貧困生活がつらいからではなく、与える喜びが奪われるからである。
・与えるということは、他人をも与える者にするということである。
・愛するためには、性格が生産的な段階に達していなけれならない。依存心、ナルシズム的な全能感、他人を利用しようとかため込む欲求を既に克服し、自分の人間的な力を信じ、自分の力に頼ろうという勇気を獲得している。これらの性質が欠けると、自分自身を与えるのが怖く、したがって愛する勇気もない。
・愛とは、愛する者の生命と成長を積極的に気にかけることである。
・自分が相手に関して抱いていたゆがんだイメージを克服し、相手を、そして自分自身を客観的に知る必要がある。
・愛は人間の実存にたいする答え。
・助けが必要だからといって、その人が無力で相手方に力があるというわけではない。
・自分の役に立たない者を愛するときにはじめて、愛は開花する。
・母性愛の真価が問われるのは、幼児にたいする愛においてではなく、成長をとげた子どもに対する愛においてである。
・ナルシズム傾向のつよい母親、支配的な母親、所有欲のつよい母親が、愛情深い母親でいられるのは、子どもが小さいうちだけである。
・人を愛することのできない女性は、子どもが小さいあいだだけは優しい母親になれるが、本当に愛情深い母親にはなれない。
・自分の全人生を相手の人生に賭けようという決断の行為であるべきだ。
・1人の人間を愛することは人間そのものを愛することでもある。自分の家族は愛するが他人にはめをむけなといったことを、ウィリアム・ジェイムズは分業と呼んだが、これは根本的に愛することができないことのしるしである。
・もしある人が生産的に愛することができるとしたら、その人はその人自身をも愛している。もし他人しか愛せないとしたその人はまったく愛することができないのである。
・利己的な人は自分を愛しすぎるのではな愛さなすぎるのである。自分自身を愛しすぎているかのように見えるが実際には真の自己を愛せず、ごまかそうとしているのである。

★愛の修練、前提条件
・1人で何もせずいられること
・集中力(いまここで現在を生きること)
・目的を達成できないのではないかと思うが、何事にも潮時があるので、忍耐力をもつ
・自分自身に対して「どうしてそう思うんだろう?」と敏感に気づく
・自分は○○できるから、あの人だってできるはずだというナルシズムの克服
・子どものことを従順だとか、親としてうれしいとか、親の自慢だと感じ、子どもが実際に感じていることに気づかないなど客観性を失わない。
・人間や物事をありのままに見て、その客観的なイメージを自分の欲望と恐怖によってつくりあげたイメージと客観的に区別する能力
・客観的に考える能力、それが理性。理性の基盤となる感情面の姿勢が謙虚さである。
・権威への服従に基づいた信仰のことではなく、自分自身の思考や感情の経験に基づいた確信という「信じること」。
・自分の愛は信頼に値するものであり他人のなかに愛を生むことができる、と信じることである。
・他人を信じることのもう一つの意味は、他人の可能性を信じることである。
・教育とは、子どもがその可能性を実現していくのを助けることである。真逆の洗脳は、大人が正しいと思うことをこに吹き込み、正しくないと思われることを根絶すれば、子どもは正しく成長するだろうという思い込みに基づいている。
・他人を信じることを突き詰めて行けば、人類を信じることになる。人間には可能性があるので、適当な条件さえあたえられれば‥。
・権力を信じることは信念とは正反対。現在すでにある力を信じることは、まだ実現されてない可能性の発達を信じないことであり、現在目に見えるものだけにもとづいて未来を予想することだ。しか人間の可能性と人間の成長を見落としている。
・信念を持つには、苦痛や失望をも受け入れる覚悟の勇気がいる。安全と安定こそが人生の第一条件だという人は信念を持つことはできない。他人と距離をおき、自分の所有物にしがみつくことによって安全をはかろうという人は愛する、愛される勇気がない。
・ある他人にたいしてある評価をくだし、たとえそれがみんなの意見とちがっていても、また、なにか不意の出来事によってその評価が否定されそうになっても、その評価を守り通すには、信念と勇気が必要だ。あるいは、みんなに受け入れられなくても、自分の確信に固執するには、やはり信念と勇気が必要だ。また、困難に直面したり、壁にぶちあたったり、悲しい目にあったりして自分に課された試練として受け止め、それを克服すればもっと強くなれる、と考えるには、やはり信念と勇気が必要である。
・自分がどんなところで信頼を失うか、どんなときにずるく立ち回るかを調べ、それをどんな口実によって正当化しているか詳しく調べる。そうすれ信念にそむくごとに自分が弱くなっていき、弱くなったためにまた信念にそむくといった悪循環に気づく。
・人は意識のうえでは愛されないことを恐れているが本当は、無意識のなかで、愛することを恐れているのである。
・愛するということは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に、全面的に自分をゆだねることである。
・愛以外の面で能動的・生産的でなければ、愛においても能動的・生産的になれない。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: ライフ
感想投稿日 : 2012年9月27日
読了日 : 2012年9月28日
本棚登録日 : 2012年9月24日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする