Wikipediaによると、スペイン内戦という歴史的背景の元に作られた映画で、直接的な政府批判を避けるため国内が分裂している様を家庭内の不和に置き換え、検閲を免れた作品だそうです。
自分はそういう歴史背景にじぇんじぇん明るくなく、「あ、なるほどなー」とアホ面で感心していました。
でも少し思ったのは、この映画は単に政府批判のという目的のために分裂した家族を描くという手段をとっただけとは思えない普遍性を持っているということです。
フランケンシュタインという怪物が少女を殺し、殺した怪物は殺される。
こういう一見道理に適った論理が、アナという無垢な少女の目を通すと、非常に不条理に見える。なぜ怪物は少女を殺し、なぜ怪物は殺されねばならないのか?人間が培ってきた常識は、所詮人間の都合の良いように捻じ曲げられてきたもので、条理の必然性は極めて恣意的なものであると謳っているように思いました。
父親がアナとイサベルに毒キノコについて教えます。
「この毒キノコは悪魔だ。食べたら最後必ず死ぬ」
そう言って毒キノコを踏みつぶします。しかし毒キノコは人間にとって害があるだけで、悪魔ではなくれっきとした生命です。人間を殺そうという悪意はないのに、人間の都合で理不尽に潰されてしまう。
フランケンシュタインも人間の都合で生み出され、人間の都合で殺されてしまう、ミツバチも絶え間なく働き死の安息が来るまで動き続けます。
アナが生まれた世の中は、そういった理不尽や不条理がそこかしこにあり大人になるにつれて、そういった疑問を考える余地すら与えられなくなってしまう。姉のイサベルやそのほかの大人に教わった通りに世間を見ていては多数に同調するだけの存在となってしまう。
アナはイサベルにからかわれたこと、脱走兵を助けフランケンシュタインに会ったことを経験し、自分の目で世の中と向き合うことを学びます。
この映画は、一人の少女が「自分の目で見つめ行動し、そして考える」ことを学ぶ成長譚なんだと思います。
姉からの受け売りは捨て孤独でも自分の考えを持ち曲げない生き方には、敬意を表すべき開かれた未来があるのかもしれません。
最近映画のレビューしていると「俺のレビュー他の人とズレてんなー」と思うこともあったんですが、この映画を観て少し元気になった次第ですw
- 感想投稿日 : 2016年7月16日
- 読了日 : 2016年7月16日
- 本棚登録日 : 2016年7月16日
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