ローマ人の物語 (30) 終わりの始まり(中) (新潮文庫)

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  • 新潮社 (2007年8月28日発売)
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不運が一挙に押し寄せていたような、アウレリウスの治世である。

お気の毒としか言いようがない。

恒例行事となったパルティア蜂起、蛮族の侵攻と続き、果ては皇帝

死去の誤報によるものとは言え、存命中にシリア属州総督のカシウス

が皇帝を名乗って立つ。

あっちで戦役、こっちで戦役の最中に謀反まで起こってしまうってのは、
帝国の機能不全の片鱗なのか。

さて、ローマ皇帝は現代で言えば最高裁長官のような役割も担っている。
法廷で裁判長を務めるのは首都警察長官なのだが、アウレリウスがその
長官に宛てた書簡が興味深い。



「あなたから送られてきた捜査と尋問の結果を精読しての感じでは、

被告エリウス・ブリスクスは、自らの言動についての最低の制御能力

さえも欠いており、母親を殺したときも、その行為の善悪に対しての

判断力がなかったと思うしかない。また、狂人を装っていたとも思え

ない。このような場合は、罪に問うことはできない。なせなら、狂気とは

それだけで、神々が人間に下す罰の一つであるからだ。
しかし、判決は無罪でも、それは即、放免ではない。今後とも、厳重な

監視の下で保護される必要がある。しかも、情況によっては鎖つきの

保護さえも、考慮に入れておくべきだろう。これは、彼に与える罰では

ない。この人物の近くにいる他の人々の保護のためであって、判決を

下すわれわれは、充分に起こりうる不慮の事態をも考慮に入れて

おかねばならないということだ。(後略)」

哲学者でもあるアウレリウスは、紀元2世紀にこう考えたのか。




「愛するローマ、幼少のわたしを育んでくれたチェリオの丘」。こう書いた

哲人皇帝アウレリウスは、第二次ゲルマニア戦役の最中に病死した。

軍事には不向きな皇帝だったが、19年の治世のほとんどは戦争ばかり

だった。

アウレリウスが将軍たちに遺言したのは、既に共同皇帝になっていた

一人息子コモドゥスを助け帝国の安全に維持に努め、内乱は起こさぬ

こと。そして、現在進行中のゲルマニア戦役の続行だった。

遺言通りに共同皇帝になっていた息子のコモドゥスが次の皇帝となる。

しかし、コモドゥスは父の遺言を無視して戦役の終結を宣言する。

このコモドゥス、後にネロやドミティアヌスと同様の「記録抹殺刑」に

されるのだが、彼の知性を狂わせたのはまたもや女であった。それも

姉であるルチッラ。

血筋だけを誇った愚かなアグリッピーナ母娘に並ぶ、気位だけは高い

女性である。皇帝の長女であり、共同皇帝であったルキウス・ヴェルス

に嫁ぎ、「皇后」の尊称を贈られたことが彼女を勘違いさせたのか。

皇帝となった弟の妃が子供を身ごもったという噂が、彼女の嫉妬心に

火をつける。「皇后は私ひとりよ。私こそがローマ帝国のファースト・

レディ。この座を渡してたまるものですかっ!」。

そこで女は考えた。皇帝暗殺である。それも相当杜撰な計画で。結局は

失敗しちゃうのだが、この陰謀がきっかけとなって皇帝コモドゥスは

猜疑心の塊りとなり、暴走が始まる。

「マルクス・アウレリウスは死・の床で、コモドゥスを助けて帝国を盛り立てて
くれとの誓約を将軍たちに求めたが、それよりも娘のルチッラに、コモドゥス
の母代わりになって弟を助けるとの誓約を求めるべきであった。」

まったく著者の言う通りである。そうしていれば、コモドゥスも軍団兵からの
誓約拒否にあうこともなかったろうし、入浴中に暗殺されることもなかった
かもしれない。

平和と繁栄の絶頂は崩壊の前兆なのだが、私好みの「格好いい男」が
まったく登場しないのも崩壊の兆しなのか。笑

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 歴史(世界)
感想投稿日 : 2011年9月2日
読了日 : 2011年9月2日
本棚登録日 : 2011年9月2日

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