幕末・維新人物伝 西郷隆盛 (日本の歴史 コミック版 12)

制作 : 加来耕三  すぎたとおる 
  • ポプラ社 (2009年2月23日発売)
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感想 : 7
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幕末。薩摩藩の下級武士の長男として生を受けた西郷吉之助は役人となってからも貧しい農民から年貢の取立てを免除してもらえるように藩と掛け合ったりする人情家だった。
薩摩藩には開明派として名高い名君・島津斉彬がおり、西郷は幸運にも斉彬から目を掛けられるようになった。
時勢はペリー来航以後、開国か攘夷かで国内は騒然としていた。
開国派である斉彬の影響を受けていた西郷は斉彬の密書を各地に運び、諸藩の有能な人材たちと懇意になっていくのだった。

だが、幕府は将軍継嗣争いに端を発する大老・井伊直弼による安政の大獄で大弾圧が加えられ、西郷も追われる身となった。
薩摩藩も斉彬が亡くなり、父親の島津斉興が実権を握ってからは只管幕府に平身低頭。絶望した西郷は勤皇の僧・月照と共に海に身を投げるが、一人だけ助かり蘇生する。

それからは幕府の目を気にして南西諸島に流罪の身となる。雌伏のときだった。

その間にも歴史は歩を進め、再び西郷を表舞台に立たせる事となる。斉彬の後を継いだ弟の島津久光と西郷は基本的にソリが合わなかったのだが、
それでも藩士に人望の厚い西郷を登用しないわけにはいかず、長州が京都に攻め上って「禁門の変」では薩軍の総大将として采配を振るった。

薩摩はどちらかというと幕府寄りで、それがいつの間にか長州と手を結ぶ「薩長同盟」により倒幕派となったように感じられるのだが、
国内で争っている場合ではないときに幕府が長州を征伐しようとしたため、幕府に愛想を尽かしたらしい。
(しかし、この辺は藩主の島津久光と西郷たちでは考え方に温度差があり、久光は幕藩体制の崩壊を望んでいたわけではなかった)

西郷さんは人情家で義に厚い人物であることが度々描写されている。だが、その西郷さんについて二つ疑問に思う点がある。
ひとつは大政奉還した幕府を挑発して軍を起こさせるために、薩摩藩士に江戸市中で乱暴狼藉を行うように指示した点。
そして、東征軍で江戸を目指す最中に「赤報隊」に新政府に味方したら租税が半額になるお触れを出させておきながら、後にそれが財政難で不可能になると
赤報隊に罪を着せて抹殺した点。
この二点から西郷さんの普段の「人情家という顔」とは別の、「目的の達成のためには手段を選ばないマキャベリストたる西郷」の顔が見えてくる。

この漫画では「赤報隊」についてはカットされ、薩摩浪士による江戸市中での乱暴狼藉は「薩摩藩の指示」でとして紹介されている。

そして維新後は政府の要職に就くも、他の薩摩・長州の顔ぶれと意見が合わず下野する。
人望があるだけに政府は西郷を「危険分子」扱いし、それに怒った西郷の下に集う若者たちの暴走が始まる。
西郷自身が明治政府のやり方に不満を抱いていたことは確かであろうが、反乱を起こすつもりなど毛頭なかったであろう。
最後はあたかも「担がれ神輿」となって動乱の渦中に消えた西郷。

彼が生涯で最も尊敬して止まなかった主君・島津斉彬が存命であれば、おそらくは西郷さんの挙兵もなかったであろう。
西郷さんを止められる人物を失ってしまっていたことも彼にとっての悲劇であっただろう。享年51歳。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 日本史_13江戸時代
感想投稿日 : 2016年2月6日
読了日 : 2014年12月29日
本棚登録日 : 2014年12月29日

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