第三次世界大戦はもう始まっている (文春新書 1367)

  • 文藝春秋 (2022年6月17日発売)
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【はじめに】
エマニュエル・トッドがウクライナの状況について語った著作。欧州でこんなことを言うと炎上するので、まずは日本のメディア向け(『文藝春秋』など)に発表したという。
トッドは、イスラム移民問題、ブレグジット、アメリカ大統領選などについて、物議を醸し出す発言をしてきた。それら表明された見解の多くは、世の中の意見とは合わないものであった。しかし、そこにはトッドとして独自独特の視点があり、本質を突いた思考と論理によって結果として世の中が予想できなかった事態を予測してきた。

今回、西側メディアと世論が反ロシアにつき、それが当然のものと認知される中で、この戦争の責任はアメリカとNATOにあると明言したトッド。本書は、戦争開始前も後も変わらないその主張について、インタビューを中心にまとめられたものになっている。書下ろしではないが、そうであるがゆえにトッドの主張が比較的ストレートにシンプルに打ち出されている。

【概要】
本書は戦争開始前から開始後にまたがってそれぞれ別の時期に収録された4つのインタビューもしくはエッセイからなっている。
1. 第三次世界大戦はもう始まっている (2022年3月23日収録)
2.「ウクライナ問題」をつくったのはロシアではなくEUだ (2017年3月15日収録)
3. 「ロシア恐怖症」は米国の衰退の現れだ (2021年11月23日初出)
4. 「ウクライナ戦争」の人類学 (2022年4月20日収録)

4つに共通するテーマはウクライナ問題であるが、1.と4.はウクライナ侵攻後、それらに挟まれた2.と3.は侵攻前のものである。ウクライナ侵攻という多くの人にとっては想定外のイベントがあったにも関わらず著者の主張はその前後で驚くほどほとんどぶれていない。トッドにとって、そこにある構造は戦争の開始前と開始後でほとんど変わっていないからだ。特にウクライナ問題はアメリカとEU側が作ったという批判は、2.にあるようにウクライナ侵攻がある前からであり、そのことはウクライナ侵攻があった後も変わらない。

このどちらにより多くの責任があるのかという点に関連して、本書の中で安全保障を専門とするシカゴ大学の国際政治学者ミアシャイマーが何度か出てくる。トッドはミアシャイマーの意見にほぼ全面的に同意している。具体的には、ミアシャイマーもトッドも、ウクライナで起きている戦争の責任はプーチンではなくアメリカとNATOにある、としている。ウクライナのNATO加盟は絶対に許されないというメッセージをロシア側が発していたにも関わらず、それを無視したことが原因であるとするのだ。

以下、この4つのインタビュー/エッセイからいくつかトッドの分析と主張をまとめてみた。

■ ウクライナに関する認識
トッドの中には、ウクライナはこれまで国作りに失敗してきた国家だという認識がある。まず前提として、これまでウクライナという国家はソ連邦成立の1922年まで存在しなかったという認識がある。この辺りの歴史的経緯は、現在ベストセラー中の『物語 ウクライナの歴史』にも詳しいが、この国に関する歴史的観点での認識が日本での一般的議論では欠落しているように思う。また、ウクライナの西部、東部、キーウを中心とした中心部ではその歴史的経緯から民族もロシアへの態度も大きく異なっている。そしてそのことも一因となってか、1990年以降ロシアが国家の再建に成功したのに対して、ウクライナは十分に機能する国家を建設できないでいた、とトッドは総括している。このウクライナの現状を端的に示しているのが、今回の戦争の前から優れた教育を受けた優秀な若者を中心に国外流出が続いていたという事実だ。ウクライナは独立以降総人口の15%を失っている。おそらくこの戦争でさらに多くの人材が国外流出することになり、将来この問題はさらに深刻化するだろうと予測する。

トッドは、2014年のユーロマイダン革命は親ロシア派であったヤヌコビッチから親EU派に民主的手続きを経ずにクーデターだと認識している。この革命を西側諸国は支持したが、そこにはダブルスタンダードが見え隠れする。ロシアは、これを受けてクリミアを併合したのだが、これに対抗する形でNATO加盟を強く志向する勢力がウクライナの中でも増えたと想定される。

また、プーチンが侵攻の理由のひとつとしたネオナチ勢力からの解放は、アゾフ連隊がもともとはネオナチの極右勢力と言われていたことも、日本ではあまり報道されないことのひとつだ。ナチズムとの戦いにおいて、国土は第二次世界大戦で多大な犠牲を払って勝ち得たものであるというロシアの自己認識があり、いったんはナチス勢力の手に落ちたウクライナをロシアが解放したという過去の歴史になぞらえたものでもある。プーチンはアゾフ大隊のネオナチ勢力との親和性を利用して国内外の宣伝に利用しているわけだが、欧米の極右勢力を否定的に報道するメディアがこのことについてほとんど触れないのもダブルスタンダードのように感じる。もちろん、主な主張であるロシア批判の報道の流れに沿わないというのもあるのだろうが、事実はテレビの報道よりも複雑な事情を抱えているように思う。

一方でこの戦争を経て、「反ロシア」がウクライナのアイデンティティになりつつある。ウクライナの人々が、「自分の国のために死ねる」と感じ、「国として生きる意味」をこの戦争が見い出しているのだ。
それは、実に悲しいことだとトッドは言う。このことは、戦争終了後も何十年もかけて深く分析されるべきだという。

■ ロシア国家の再建と現状
トッドは、ロシアは共産圏の崩壊からこの数十年の間にうまく国を再建させてきたと評価する。トッドを有名にしたのは旧共産圏の崩壊を予測したことだが、その予測の根拠となったロシアの乳幼児死亡率は、1990年当時1,000人当たり18.4人という高い水準であったが、現在は4.9人にまで改善し、これはアメリカの5.6人を下回っている。ロシアは再び魅力的な国になったのである。

また今回の経済制裁はロシアに想定されたほど影響を与えないとも主張する。これは、2014年の前回の経済制裁時にロシアで勤務していたという自分の知り合いの方も当時も経済制裁の影響はほとんど感じなかったと言い、おそらく今回も同様だろうと言っていたことと合致する。いったんは暴落したルーブルも、すでに対ドルレートで戦争開始前のレート以上に戻している。そしておそらくプーチンの支持率も実際に下がっていないのだろう。

そして、世界中の全ての国が必ずしもロシアを非難しているわけではないということも指摘する。積極的に批判しているのは、欧米各国と日本、韓国に限定される。イスラム諸国やアフリカ諸国、ラテンアメリカ諸国の大部分は批判も制裁もしていない。

中国に関しては、この戦争をきっかけとしてこれまで互いに反発してきたロシアと急速に近づいた。中国にとってもこの戦争は国益に適うのである。中国は武器を含む工業製品をロシアに輸出し、欧州向けであったエネルギー資源をロシアから輸入する。中国も対アメリカという点で孤立するよりも、ロシアという極が存在している方が都合がよい。そして、中国がロシアについていることも、戦争の長期化を暗示するものである。

トッドは、日本の読者に向けて、日本はロシアとは長期的に良好な関係を築くべきだという。地政学的にも当然だし、日米安保の枠組みを尊重しながら、冷静な外交的努力を続けるべきだという。

■ アメリカへの批判
トッドのアメリカに対する批判は厳しい。本来この戦争は「ウクライナの中立」というロシアからの要求を受け入れていれば、容易に避けられたものを、アメリカをはじめとする西側諸国の対応によってヨーロッパを戦場としてしまったと怒りを隠さない。

アメリカにとって、ウクライナ戦争は世界戦略上有利であることを指摘する。まず、欧州とロシアの分断はアメリカのグローバルでの支配的立場を強化することにつながる。また、経済制裁に関してはエネルギー資源をロシアに多く依存していたヨーロッパ、特に欧州の盟主であるドイツに大きな影響を与える。皮肉なことに経済制裁はロシアよりもヨーロッパに大きな経済的影響を与えるであろうことを指摘している。すでに欧州各国のインフレ率はエネルギー資源の高騰を受けて、非常に高いレベルになっている。こういったヨーロッパの経済問題は、アメリカの世界支配にとってはよいことだという。

トッドは、「「戦争」はもはやアメリカの文化やビジネスの一部になっていると言っても過言ではありません」と言い、アメリカは世界のどこでも関わった場所を戦場に変えてきたと分析・批判する。そして、この後ウクライナは、その国土と国民をアメリカが世界戦略の盾としたことに対して批判するだろうと予言する。対ロシアを煽り立てた上、武器だけ供与して自らは戦場に立つことなく、ウクライナの多くの人命と国土・産業を犠牲にした、と。

この戦争の責任をロシアではなく、完全にアメリカの側に帰するという論述は、ひとつの極論であって、西側の世論には簡単に受け入れられるものではないだろう。しかしその分析とともに、トッドのアメリカ、そしてイギリスに対する怒りと失望は本物であるように思う。

■ この戦争の行方
トッドは、「我々はすでに「世界大戦」に突入してしまった」という。

ミアシャイマーは、いかなる犠牲を払ってでもロシアは戦争に勝とうとするがゆえに最終的にはロシアが勝利するという。東部の占領の状況を見ても、ロシアが敗北したということは難しい。一方で、アメリカももはやこの戦争で負けを受け入れることはありえないとトッドは分析する。この点がミアシャイマーとの異なる点だ。つまり、この戦争は長期化するだろうというのが見立てとなっている。

この戦争は、第一次世界大戦の状況に似ているという。誰もそれを望んでいたわけではなかったが、サラエボでの皇太子暗殺というひとつの事件をきっかけにヨーロッパ中が戦争に巻き込まれてしまった。その状況に似ているというのだ。

別の見方として、旧ソ連圏の内戦に、アメリカとイギリスが一方の勢力に支援していることで継続しているとも。またトッドは、この戦争の背後には、アメリカとイギリスを中心とするリベラル寡頭制陣営とロシアと中国を中心おする権威主義的民主主義陣営の戦いだと指摘する。冷戦終了後三十年を経たが、リベラル寡頭制陣営も決してうまくいっているわけではないのである。

【まとめ】
トッドの主張がすべて正しいというわけではない。トッドも、あえて極論を言うことで伝えるべき主張を強く打ち出そうとしているところもあるだろう。しかし、報道やSNSで流れる表面的で煽情的な情報だけで判断するのではなく、この戦争が起きた背景を構造的かつ歴史的に把握することが大事だということは同意できるところだと思う。トッドの描き出す世界観は、どんな物事でも世間一般の考えとは違った見方が可能であり、ある観点からはその方がより論理的で整合的であるということの証左でもある。「世界の構造レベルで何が起きているのか」を見極めることが重要となるとトッドは指摘している。その通りだと思う。

最後にいくつかトッドのこの世界状況に対する姿勢を示した文章を並べておきたい。

「この状況に対して具体的な行動は何もできないなかで、私にとっての道徳的な行動とは、誰が正しいのか、誰が間違っているのかを考えるのではなく、ひたすらに真実に忠実であろうとすることです」

「しかし、ここで行われているのは、まさに「戦時の情報戦」であることも忘れてはなりません。我々が目にしている報道が、”現実”をどれだけ伝えているかは分からないのです」

この戦争が世界史においてどのように組み込まれていくことになるのか、十分に注視しておくことが必要だと改めて考えた。その内容を受け付けない人ももしかしたらいるかもしれないが、刺激を受けることができる本だった。

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『物語 ウクライナの歴史―ヨーロッパ最後の大国』(黒川祐次)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4121016556
『縮訳版 戦争論』(カール・フォン・クラウゼビッツ)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/453217693X

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 哲学批評
感想投稿日 : 2022年7月18日
読了日 : 2022年7月16日
本棚登録日 : 2022年7月16日

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