情動はこうしてつくられる──脳の隠れた働きと構成主義的情動理論

  • 紀伊國屋書店 (2019年10月31日発売)
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著者いわく、「本書の目的は、読者に、情動に関する考え方に馴れてもらうことにある」ー こう前置きをするほど、情動について直感に反してわれわれが馴れることが難しい事実が近年明らかになっているということなのである。

人間の脳の仕組みについては、情動に限らず、直感的な理解に反する多くの意外な事実が明らかになっている。もっともよく知られたところを一つ挙げると、われわれの自由意志の感覚が、後から意識によって組み立てられたものであり、謂わば”虚構”である、というものがある。この認識は直観に反するが、少なくとも脳神経科学者の間ではいまや共通理解になっている。本書は、情動(emotion)も生得的な能力から脳が生成するものではなく、意識と同じように身体反応に対する後付けの説明により構成するものであることを示すものである。
著者によると、この情動に対する考え方は脳神経科学者の中では急速に常識になっているが、直観に反するがゆえに世間一般には広がっていないという。あまり知られていないこの知見を正しく理解し活用することによって、健康、教育、精神疾患、法制度など社会の具体的な場面で役に立つということが主張される。

もう少し丁寧に旧来の考え方との違いを見ていくこととする。著者によると、これまでの常識である古典的情動理論とは次のような考え方である。
「情動は普遍的であり、どの文化に属していようが、世界中のあらゆる年齢の人々が、私たちと、さらに言えば100万年前にアフリカのサバンナをうろついていた人類の祖先とほぼ同じように、悲しみを経験していると見なされる」

古典的理論では、脳の中には生得的に怖れや喜びを感じる仕組みが備わっていて、それを表す表情や身体表現についても遺伝子に書き込まれているというものだ。喜びの表情は全世界で共通し、異文化の人間であっても、笑っている表情を見て笑っていると判断できる、というものが世間一般に拡がっている考え方であり、われわれの直観にも訴えるものである。それは、何となれば、人類で嬉しいという感覚は共有していて、それを表現する笑顔というものも共通で、笑顔を広めることで世界中を幸せにする、というものが抵抗なく受け入れられる世界である。そうした考え方は、ヒューマニズム的理想像にも合致することから、多くの人に受け容れられやすく、それがゆえに深く根付いているものである。笑顔は人を幸せにする。

しかし著者は、脳の中にその領域を探し、表情筋などの身体的な指標を探したが、結局見つからなかったという -「いかなる情動に関しても、それに対応する一貫した身体的指標は見出されていない」。いくら慎重な実験を重ねてその徴を探し求めても、情動のみに関わっているニューロンの存在は決してみつからなかったのである。

【構成主義的情動理論】
そういった失敗を通して、それは結局は別の真実を示していることを理解し、著者は旧来の考え方を捨てて、新しい構成主義的情動理論(theory of constructed emotion)の確立に向かう。

「怖れなどの一つの心的事象が、特定のニューロンの組み合わせのみによって生み出されるのではなく、さまざまな怖れのインスタンスが、異なる組み合わせのニューロンによって生み出されることを示すこれらの発見は、私が神経科学の研究を始めて以来学んだ知識の中で、もっとも驚くべき知見であった。神経科学者はこの原理を「縮重(degeneracy)」と呼ぶ。縮重は「多対一」、すなわちニューロンの様々な組み合わせによって同一の結果が得られるという事実を指す」

構成主義的情動理論における「情動」をもう少し整理して表現すると次のようなものになる。

「情動は、外界に対する反応ではない。人間は感覚入力の受動的な受け手ではなく、情動の積極的な構築者なのだ。感覚入力と過去の経験をもとに、脳は意味を構築し、行動を処方する」

このことを理解するためには、まず次の原理について理解しておく必要があるだろう。
- 情動は、引き起こされるのではなく作られる
- 情動は、多様であり特定の指標を持たない
- 情動は、原理的に認知や知覚と区別されない

それでは、なぜ情動というものが、できあがったのか。
人間は外界をシミュレートして、つねに予測をするものであり、その能力を発展させてきた。情動は、その仕組みの中で生じてきたものなのだ、ということなのである。著者の表現を借りると次の通りである。

「目覚めているあいだはつねに、脳は、概念として組織化された過去の経験を用いて行動を導き、感覚刺激に意味を付与する。関連する概念が情動概念である場合、脳は情動のインスタンスを生成する」

【脳の全体論・複雑性】
著者は、実際に脳の活動から情動がどのように発生するのかについても説明を加える。人間は何も考えていないように思えるときも、脳の活動を休めることはない。その活動は内因性ネットワークと呼ばれるが、つねにシミュレーションと予測、そして学習を繰り返していることの証となっている。
「内因性脳活動は無作為に生じるのではなく、「内因性ネットワーク」と呼ばれる、絶えずともに発火するニューロンの集合によって組織化されている。...内因性脳活動は、夢、空想、想像、注意散漫、夢想の源泉である。また、快、不快、落ち着き、苛立ちなどのもっとも基本的な感情の源泉たる内受容感覚を含めて、人間が経験するあらゆる感覚刺激を生み出す」

この辺りの議論は、エーデルマンの TNGS理論(神経細胞群選択説(Theory of Neuronal Group Selection))につながるところがある。実際に著者も本書の中で次のようにエーデルマンの業績について次のように触れている。
「ノーベル受賞者で神経科学者のジェラルド・M・エーデルマンは、経験を「想起された現在」と呼んだ。今日では、神経科学の発展のおかげで、エーデルマンの主張の正しさが判明している。脳全体の状態としての概念のインスタンスは、たった今どのように振る舞うべきかに関する、また感覚刺激の意味をめぐる予期的な推測だと言える」

【機械学習との相同性】
「予測と訂正を通じて、脳は継続的に世界の心的モデルを生成し更新する。この仕組みは、自分が知覚するあらゆる事象を構築しつつ、取るべき行動を決めていく、絶えず実行される巨大なシミュレーションなのだ」
と著者が書くとき、機械学習のロジックとの相同性に驚く。

「多くのケースでは、経験は外界とは無関係である。ある意味では、脳は妄想するために配線されている。私たちは、絶え間ない予測を通じて、感覚世界によるチェックを受けつつ構築した独自の世界を経験しているのだ。予測が十分に正しければ、知覚や行動を生むだけではなく、感覚刺激の意味を説明する。これが基本的な脳の働きである」
という主張は、まるで機械学習の原理の説明を聞いているようだ。つまり、機械学習が人間の認知機能を上手くシミュレーションできるのは、それらが同じ原理の上で動いているからに他ならないとも言える。

「技術が向上し、知識が増えるにつれ、現在私たちが考えている以上に脳が構築に専念していることが明確になってくるはずだ」―― すでにわれわれは機械学習において、学習(=構築)の方により多くのリソースを必要とすることを知っている。そして学習の結果として、なぜそのようにして動作するのかの中身を知ることができないことも知っているのである。

一方で、次の言明は、脳だけで主体が成立するものではなく、自己の成立においていかに身体が重要なのかということを示している。
「かくして脳は、自己の身体を持つ者の観点から世界をモデル化している。つまり頭部や手足の動きとの関係のなかで、外界から入って来た感覚刺激をもとに視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚に関する予測を行っているのと同様、体内の動きによる感覚の変化も予測しているのである」

【概念の形成と文化・言葉】
それでは、人間はいつから情動を自ら作ることができるようになるのか。ここで人間特有の「概念」が重要になる。そして、この概念の生成において「言葉」が非常に重要になる。他の動物も物質的な差異に基づいて概念を形成することは可能だが、言語によって初めて多様な概念を獲得することができる。先の機械学習の例に沿っていうと言葉によって初めて有意味なラベリングが行われるのだ。

「しかし乳児にさまざまな外観、音、感触を持つモノを見せ、それに言葉を、そう、言葉を付け加えると、物質的な差異を超越した概念を形成する」
このことは、乳幼児期に接する言葉の質と量が、その個人の認知能力や感情能力にとても大きな影響を与える可能性を示唆している。

さらに、この概念というものは、文化的かつ社会的な文脈の上で取り込まれていくことになる。
「しかし「怒り」や「嫌悪」などの個々の概念は、遺伝的に決まっているわけではない。身に染み付いた情動概念は、まさにその概念が有意味かつ有用であるような特定の社会的な文脈のもとで育ったがゆえに組み込まれているのであり、脳は、本人の気づかぬうちに概念を適用し、経験を構築するのだ。心拍の変化は必然的だが、その情動的な意味は必然的なものではない。文化が異なれば、同じ感覚入力から異なる種類の意味が生成されうる」

そう考えると、国や地域で、そこに住む人によって性格や考え方が異なるのは、遺伝子によるものよりも当然ながら社会の性質によって定まるところが多いものであるということも推測できる。著者はそのことを「集合的志向性」という言葉で表現する。「怒り」が簡単に表出される社会においては、「怒り」の情動インスタンスが生じるようになるのである。
「私の見るところ、情動カテゴリーは、集合的志向性によって現実のものとなる。怒りを感じていることを相手に伝えるためには、自分もその人も、「怒り」の理解を共有していなければならない」

こういった集合的志向性が文化を定義する。「言葉と結びついた集合的志向性を持つ動物は、人間以外に存在しない」
そうした人間の集合と言語の集合によって、文化が引き継がれるのである。その仕組みは次の通りだ。
「文化によって脳の配線が導かれるのであって、それによって脳は、文化の運び手になり、文化を生み出し維持すべく、支援するのだ」

【まとめ】
本書では、前半で情動を分析した後、後半ではその知見によってどのような影響を社会に与えることができるかについて述べている。具体的には、自閉症やうつ病に関する処方にも影響を与えるだろうし、法制度における情状酌量の問題にも直接的に影響を与えるだろう。こうした議論に著者は多くのページを割いているし、興味深いテーマでもある。しかし、ここで深堀りすることは避ける。前半の情動に関する原理的な説明だけでも十分に面白いし、色々と考えさせる力作だからである。著者が言うように、「身体と心は固く結びついている」「行動は内受容によって駆り立てられる」「文化は脳を配線する」という三点をしっかりと理解すべきだ。そして、「脳は予測と構築によって機能し、経験を通してそれ自体を再配線するのなら、今日の経験を変えれば明日の自分を変えられると言っても、過言ではないだろう」ということを信じることができるようになることだ。

なにより科学的な反証がいくつも得られているにも関わらず、古典的情動理論が一般的に疑問を持たれずに生き残っているのは「まさにその考えが直感に訴えるからだ」。つまり、「あなたは感情に押し流されているかのように感じられるかもしれないが、実際にはあなたがその川の源流なのである」。注意する必要があるのは、ここで最初の「あなた」は主観的自己であるが、後者の「あなた」は意識外の自己である、という事実である。
そう理解すると、自分の行動に対して、本当は意識される前に意識外での行動の予測があって動作が行われているにも関わらず、自ら意識的に意思決定をした上で動作をしたというのが直感に訴えるために生き残るという自由意志の原理とまったく同じ構造であることがわかる。実際に、自由意志の問題と情動の問題は基本的には同じ構造の上に成立している。「予測は頭蓋の外から届く感覚入力を予期するだけでなく、説明する」のである。自由意志の問題について了解したのであれば、なぜ情動のからくりについて自分でも同じように考えなかったのかは不思議に思えてくる。まさにそのことが直感に反するということなのかもしれない。

著者は、現在「幸いにも、私たちは心や脳の研究の黄金時代に生きている」と言う。fMRIや遺伝子解析などのツールを得て多くのことが明らかになり、前述してきたようにパラダイムシフトが起き、次々と新しいアイデアが発生し、その検証が行われ、そして現実社会への応用も進むだろう。
「科学におけるほとんどのパラダイムシフトと同じように、今回のパラダイムシフトは、私たちの健康、法律、そして私たち自身を変える力を、さらには新たな現実を作り出す力を持っている」

「数十億のニューロンから構成される人間の脳では、本書で概略を述べたものよりもはるかに複雑な事象が生じている。ほとんどの神経科学者は、脳の機能、ましてや脳による意識の生成について詳細に解明できるようになるには、この先数十年はかかると見ている」
たった数十年と言ってもよいかもしれないし、こういったことは短期的には過大評価をするものだが、長期的にはいつも過少評価するもので、自分が生きている間にも多くのことが明らかになると期待してもよいのかもしれない。そして、それはきっと結果として長期的には「人間」の概念も変えてしまうようなものになると確信している。

「私たちが「確実さ」として経験するもの、すなわち自分自身、他者、周囲の世界について何が正しいかを知っているという感覚は、日々を無事に生きていけるよう支援するために脳が作り出している幻想にすぎない。おりに触れてこの「確実さ」をわずかでも手放すことは、よい考えだ」

【最後に・翻訳書としての評価】
最後、本書がテーマにした情動については、アントニオ・ダマシオが大御所としていくつかの重要な著作を残している。しかし、非常に理解が難しいのが課題であった。翻訳者ですら、理解が難しいと言ってしまうほどの難物であったからだ。しかし、本書は非常に明解であり、わかりやすい。この本を読んだ後で次のダマシオの文章を読むと、同じことを言っているのだなと理解を深めることができる。例えば、次のような箇所だ。

「今日確信をもって言えることは、視覚に対しても言語に対しても、また、理性や社会的行動に対しても、単一の「中枢」はないということ。あるのは、いくつかの相互に関連したユニットで構成される「システム」である。機能的にではなく解剖学的にいえば、そういった各ユニットこそ、骨相学に影響を受けた理論でいう古めかしい「中枢」である。またこれらのシステムは、精神的機能の基盤を構成する比較的独立性の高い作用に向けられている。個々のユニットは、それらがシステムの中のどこに置かれているかでそのシステムの作用に異なった貢献をするので、相互交換がきかない。これはひじょうに重要なことである。システムの作用に対する特定のユニットの貢献内容は、そのユニットの構造だけでなく、システムにおける「位置」にも依存している」―― アントニオ・ダマシオ『デカルトの誤り』より

また、ダマシオを再読するのもよいかもしれない。

また、巻末に「情動(emotion)」「感情(feeling)」「気分(affect)」「概念(concept)」「インスタンス(instance)」などの用語に関する解説を加える翻訳者の仕事も丁寧で素晴らしい。ここに言及して感謝の意を表明するに相応しい仕事である。

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『脳は空より広いか―「私」という現象を考える』(ジェラルド・M・エーデルマン)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4794215452
『「こころ」はいかにして生まれるのか 最新脳科学で解き明かす「情動」』(櫻井武)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4065135222
『意識と自己』(アントニオ・ダマシオ)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4065120721
『進化の意外な順序ー感情、意識、創造性と文化の起源』(アントニオ・ダマシオ)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4826902077

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 科学
感想投稿日 : 2019年12月31日
読了日 : 2019年12月22日
本棚登録日 : 2019年12月22日

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